天声人語を読んでいたら、、、
ルーズベルト夫人の言葉: 「母親が妖精に『わが子に最も役に立つものを授けて』と願うとしたら、 授けられるのは好奇心であるべきだと思う」
ノーベル化学賞 下村脩氏の言葉: 「子どもたちにはどんどん興味をもったことをやらせてあげて。 やめさせたらだめです」
ノーベル物理学賞 益川敏英氏の言葉: 「本来みんな持っている好奇心が 選択式テストの受験体制ですさんでいる」 「いまの親は教育熱心と言うより教育結果熱心」
天声人語筆者のコメント: だが当節、好奇心は生息しづらくなっているようだ。
子どもの周囲に、かつてなく「べし」と「べからず」があふれている。 少なからぬ人の、それが実感ではないだろうか。 たとえば、勝ち組めざしてひた走る勉強は「べし」の象徴だろう。 そして、外で遊ぶ姿のあまりの少なさには 「べからず」の極みを見る思いがする。
一握りの天才のために教育があるわけではない。 とはいえ好奇心はあらゆる可能性の卵。 二つの言葉のはざまで窒息させてはもったいないと、 わが平凡を棚に上げつつ、受賞にわいた秋に思う。
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さらに言えば、天才を生むために好奇心が大切なわけじゃないし、 好奇心をもってやり続けて、偉人にならなきゃ意味がないわけでもない。 大切なのは、それがどう生活の中に生きるかわからないことだろう。 たいていは、金にも名誉にもならなくても、 しっかりと何らかの形で生きてくれるものなのだ。
その、好奇心をもってやり続けたことで、 社会的地位を得ようとか、世間で大成功をおさめようとか、 そういう野心にこだわったら、達成できなかったら無駄! となる。 だから、大方の大人は、そんなことに「現を抜かし」てるよりは、 学校の勉強や、受験のための勉強やりなさい、となるのだろう。
私の中・高生時代は、まだ至って大らかな時代だったけれど、 時にはそんな圧力が降りかかって来ることも無きにしもあらずだった。 私はそのたびに、思った、、、 だって、今これを一生懸命やらなかったら、いつやるの??
今の学校教育は、かなり窮屈なものになっている。 もう、中学校の早い時期から毎年のように、 早く将来の目標を決めて、勉強しなさいね、と指導される。 「生きる力=現実的進路指導」なんて、おかしな時代である。
それじゃ、たとえば高校生たちが、進路指導に乗っかって、 みんな勉強に邁進かというと、別にそんなわけではない。 半数以上の高校生たちは、昔と同様ヒマヒマしてるわけだ。 ただ、ますます過熱する「進路・進学指導」と、 一方でますます氾濫する気晴らしグッズの狭間で、 自分の本当の好奇心がはぐらかされてしまっているケースも 多いのではないかと思ってしまう。
・・・な〜んてことを、天声人語の筆者よりはるかに凡人の私は あれこれ考えてしまったのだが、、、
きょう、また、高校生の混成バンドの練習に行ってきた。 私自身も、きょうこんな練習があるせいで、 10月の完全休日はほとんどなくなってしまったのだが、 集まってきた高校生たちも、そういう子たちが少なくないと思う。 こうして、熱心に吹奏楽に(音楽に)打ち込んでくれるのは嬉しいけど、 その割には、君たち、研究心乏し過ぎ!! と思ったことが、帰宅後に読んだ天声人語の感想に反映したかも。。
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