TENSEI塵語

2008年10月15日(水) カラヤンの「英雄」交響曲を聴いて、、

私の音楽好き生活のごくごく初期のベートーヴェンといえば、
カラヤンの演奏で聴くことから始まった。
友人宅にあった「運命」「田園」「第九」を貸してもらって、
オープンリールのテープに入れて聴くことから始まったのだから。。
選ぶ余裕なんてないし、当時はカラヤンはとにかく「標準」だった。

カラヤンの演奏映画もよく観に行った。
あの指揮姿のかっこよさと言ったら、、、
あんなチビとは思いもよらなかったのだけれど、
指揮姿を見る限り、ほんとに偉大なる巨人という感じがしたもので。。
(気取りすぎ、と言ってたやつもいたけれど、、)
それから、リハーサル映画での、
あの弦パートの音色へのこだわりといったら、、、もう、畏怖心。。

それから、ベーム、フルトヴェングラー、ワルター、、、その他、
さまざまな指揮者のベートーヴェンをいろいろ聴くうちに、
カラヤンのベートーヴェンはだんだん色褪せて行った。
っていうか、、、そんなに際立った魅力が感じられなくなった。
快い速さが特徴かな? と思われるようになった。

ロマン派の音楽だと、重厚で粘りのある、それでいて痛快な演奏に
魅せられることが多々あるのに、ベートーヴェンはやけにあっさり。。
弦の発音には、確かにカラヤンならではの特徴があるのだが。。

そういうことをはっきり感じたのは、
CD化されたカラヤンの70年代ころの全集を聴いたころだと思う。


ところが、棚から80年代に録音されたカラヤンの「英雄」が出てきた。
これだけ、新録音を買っていたのだ。。
え? 何で? と、一瞬不思議な思いになったけれど、
(70年代ころの全集で見切りをつけたはずだったので、、)
理由はすぐに思い出した、、、第2楽章のせいである。
70年代ころの演奏以上のものを期待したに違いない。

きょうそれを聴き直してみた。
第1楽章は、やはり何の変哲もない演奏に思われる。
ついでに、先に言っておけば、第3・4楽章も、である。
私は、この曲の第1・3楽章のブルーノ・ワルターの演奏の大ファン。
第1楽章のクライマックスが、録音のせいか悲惨なんだけど、
ワルターの美学がきめ細かく表現されていると思うので。。
(特に! 第3楽章の中間部のホルン3重奏の美しさといったら!)
ああいうきめ細やかさを感じさせずに、カラヤンは突っ走ってる、、
って感じだ、、、究極のこだわりの指揮者だと思ってるのに、
ほんとに意外と無頓着。。

しかし、第2楽章だけは、ロマン派の、こだわりのカラヤン!
とりわけ、2度目に第1主題になってからのフーガの部分は白眉!
もう、すばらしい迫真の名演!!
とっくに聞き飽きたような曲なんだけど、涙ぐんでしまった。
しばらくは、興奮のあまり呼吸が落ち着かなかったり。。。


そういえば、カラヤンのマーラーも、概して好きじゃないのだが、
5番の4楽章、9番の4楽章を筆頭に、
4番の3楽章、6番の3楽章と、緩除楽章はカラヤンに軍配上げてる。


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