試験後に残った授業時間に何をやろうか考えて、現代文は読書にした。 前回のテスト返しの後で、本を持ってくるよう指示しておいた。
今の職場は5年目だが、まだ1度も試みていない。 前任校では、自分のクラスだけで朝の読書を2回ほど期間限定で試み、 その年の学年末の残り時間をすべて読書にし、 以外と苦労なく読書時間を過ごせることがわかり、 しかも、意外とおもしろい、と意外な生徒が読み続ける現場を見て、 本格的に「朝読」を推進し、実現させて、その学校は今も続けている。
今の学校の生徒の方が前任校の生徒よりも物わかりがいいから、 きっとやりやすいだろうとは思いつつも、ためらってしないでいた。 それは、「朝読」自体に理解を示す教員がほとんどいない環境もあるし、 10分や20分ならともかく、50分近く読書だけで過ごさせるのは、 こちらにかなりの緊張を強いられるからである。 前任校で試みたときでも、私語はしないにしても、 多いときで1クラス数名が途中で居眠りするので、何度も起こして回った。 他の30何人かが読書という行為を続けているだけでも大したものだから 数人くらいは放っておけばいいのかもしれないが、 放任しておけば伝染し連鎖する恐れがあるので、監督する必要があるのだ。 下手をすると、半数以上が居眠りタイムになる恐れを抱かねばならない。 それは、読書という授業時間の完全な崩壊だ。
きょうも、さまざまな不安と緊張を心に抱えて教室に向かった。 幸い、そう長々と読書について述べなくてもすんなり読書に入ってくれた。 本を忘れてきた生徒が10人ほどいたけれど、 (図書館で借りることも勧めておいたけど、その後卒業式の予行と 次の日は卒業式で、図書館はほとんど閉館状態だった) そういう時のために、あのころ使っていた自由貸し出し本を持って行った。 途中で眠りかけたのはひとりだけで、軽く声をかけたら、 後はずっと本に向かっていた。
それは、予想外の光景だった。 ほとんどの生徒がほとんど姿勢を崩さず本に向かい続けていた。 前任校でも、これほど徹底した40分以上の読書タイムを経験していない。 実際に本を読み続けているのか、それはわからないのだけれど、 とりあえずは、本というものに向かわせるのがこの読書タイムの目的だ。 これがきっかけにならないか、というのが我々の願いである。 放っておいたら、きっかけさえないままに過ぎてしまうかもしれないから。
私も、普段なかなか読み進められないでいた「カラマーゾフの兄弟」の 新訳を、ゆっくり読み進めることができた。 時折生徒のようすを眺めながらも、かなり落ち着いて読むことができた。
きょうのこの1クラスの初回を見る限りでは、前任校よりかなり楽である。 しかしそれはまだわからない。 もう1クラスはタイプがちょっと違うし、どちらもあと3〜4時間ある。 しっかり生徒のようすを見て、これからを考えようと思う。
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