TENSEI塵語

2008年03月04日(火) 「デス・ノート」を読み終わって

やっとこさ「デス・ノート」12巻を読み終わった。
Lとライト、さらにLの後継として登場したニアとライトの心理戦が
とにかくおもしろかった。
終盤は少々難解な推理戦になっている。
読み応えのある漫画である。

それにしても考えてしまうなぁ。。。

人を裁けるのは誰か?
神か、人か、法か?

漫画を読みながら(映画の時もそうだったけど)、
数々の殺人事件、特に幼児の殺害事件のことが通奏低音のように、
明確な意識もないままに、ぐるぐると回っていた。

10年近く前に、大阪の池田小学校で20人以上を殺傷(死者8名)した
宅間とかいう犯人は、死刑囚となった。
そりゃあ、死刑で当然だ、とたいていの人は思うだろう。

先日、3、4年前だったか、安城の某ショッピングセンターで
1歳にもならない乳児の頭にナイフを思い切り刺して死なせた
氏家という男の判決が確定した。
求刑は懲役30年、しかし、心神耗弱とか統合失調症とかの診断が加わり、
懲役22年に減刑された。
殺された乳児の両親の思いはどんなものだろうか?

何の罪もない乳児が、有無を言わさず、何の理由もなく殺された。
まだこれから言葉を覚え、歩くことを覚えようとしていた乳児が、
無限の可能性を秘めた人権を、一瞬のうちに奪われた。
犯人にとっては、殺害の対象はその乳児でなくてもよかった。
たまたまその子が目に留まったために、その子が殺されたのである。

こんな極悪な悲劇でも、法はその犯人の命を奪わない。
丁重な扱いである。
人権を無視・軽視して人権を奪ってしまった犯人に対し、
しっかりと人権を擁護する。
精神疾患だとか未成年だとかの理由で、責任能力を疑問視し、
本人がやった罪に比べるときわめて軽い罰で済ませてしまう。
被害者の周辺の人たちからすると、堪らなく口惜しい裁きに違いない。
罪なき者が死に、罪なき者を殺した罪ある者が生きながらえる。。。
これは実に理不尽なことだ。
しかも、精神障害を偽って演じて罪を逃れようとするケースもある。。。

神の裁きだったら、、?
いや、神はたいていどんな時も「沈黙」しているものだ。

デス・ノートの所有者は容赦なく、死をもって裁く。
犯罪者は死から逃れられない。
法による裁判などという悠長な手続きなしに、死刑が待っている。
そう思えば、これから犯行を企てる者にも、
犯行に及べば法的な裁判を待たず死が訪れるという恐怖感がもたらされる。
言い逃れも詐病も何の効果もない。
罪を犯せば、必ず死ぬ、、、という状況ならば、犯罪は抑えられるだろう。

しかし、デス・ノートの所有者も、全能ではない。
実際、計画遂行に邪魔になる人物は犯罪者じゃなくても殺さねばならない。
現行法の下では、デスノートの効果は大量殺人と変わりないのだ。





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