TENSEI塵語

2008年02月07日(木) 2人の卒業生の話

今、職場では単位認定に関する内規について議論されているのだが、
これについてここであれこれ書くのはやめておこう。
どの部分が守秘義務に抵触するかわからないから。

こういう問題を考えるたびに、思い出す2人の生徒がいるのだ。

ひとりは、23年前に担任した生徒である。
3年生で卒業前に7科目だか8科目だかが不認定科目になった。
追認考査を受けられる科目数に制限があって、それを遙かに超えていた。
彼ひとりだけ、そのまま留年が決まるはずだった。
ところが校長が、何とか卒業させなきゃいかん、と力説し始めた。
ちょうどそのころに、彼は岐阜県の私大に合格した。
校長はますます留年させないことに固執した。
大学に合格したのに、高校を卒業できないのはおかしい、と言い始めた。

我々は抵抗した。(私も担任ながら抵抗した)
彼は、どれだけ注意しても、授業中に他事をやっているか眠っているか
どちらかで、高校卒業に必要とされている多くの勉強をしていない。
彼の他に、生活指導面で苦労させられる生徒が何人もいたが、
その連中は授業に参加もしていたし、行事になるとリーダー群だった。
しかし彼は学校の教育活動に参加する意思をほとんど見せていなかった。
卒業のための要件に、大学合格という項目はない。
内規はそう簡単に歪められない。

しかし校長は頭を下げて職員にお願いした。
なぜ、あの校長があれほど彼の留年を阻止したのか、わからない。
とにかく、3月1日の卒業式を越えて、3月の中旬まで卒業認定を延ばし、
補充授業や補充課題と追認考査を行ったのである。
そのために担任の私は何度も何度も彼の家を訪れて課題のチェックをした。
通勤だけで片道40キロ以上もある上に、更に遠方に何度も通ったのだ。
課題の消化状況も決して良好ではなかったし、追認試験の結果もいまいち、
しかし、校長の、通したってくれ、で、彼は卒業した。

後日談は悲惨である。
彼は卒業後の第1学期に、その母校の高校1年生の女子生徒をナンパし、
数日間連れ回して学校を休ませ、揚げ句に退学させて同棲し、すぐ捨てた。
そして、その年に大学も退学した。

校長の手厚い温情と我々の苦労はいったい何のためだったか、
非常に考えさせられる一件だった。

もうひとりの卒業生は、私が次に赴任した学校でのことである。
これはもう、授業中眠ってばっかり、で有名な生徒だった。
これも大量の不認定科目を抱え、それでも校長が再追認までお願いし、
我々が会議の採決で否決して留年となった。
そういう民主的なシステムの生きている学校だったのだが、
実は、こういう時に、留年に賛成するのは実につらいものである。

私はこの生徒の留年して居残った4年目だけ教科担任だった。
奴がいるから頼む、と教科内で依頼されたのだった。
眠ってばかりが有名だったが、彼はほとんど眠らずに授業を受けた。
1、2年次に知ってていいはずのこともほとんど知らなかったけれど、
とにかくまじめに授業を受け、どの科目も最底辺でない成績で卒業した。
彼は、年度の月日が進むごとに明るくなった。
彼のために苦労することはなく、困った君は他にいた。

以上、2人の卒業生のことは、教育的配慮って何だろう、と考えるときに、
ふと思い出してしまうのである。
もちろん、難しい問題である。
生徒は人間だから、何がいいか悪いか、一律には語れない。。。


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