TENSEI塵語

2007年05月30日(水) 葬儀

朝9時に町内で集合して会場に行ったら、なぜか朝食が出た。
朝食から戻ったら、もう受付を2人通っていた。
その時は誰が代わりにやってくれていたのかよくわからなかったが、
親族の誰かだったようだ。
まだ始まる1時間前にもなっていないのに、何人かが受付に来た。

我々は一般客の受付をしていたが、それだけでも昨日ときょうで約300人。
学校関係者と野球部監督時代の学校関係の2つの受付がどれだけあったかは
聞いてないので、どれくらいの人数になったのかはわからない。
しかし、ひとりひとり記帳に時間がかかるので、そう忙しい受付ではない。
町内から手伝いに出るのも、3〜4人で十分だ。
ところが、10年前20年前のような、自宅で葬儀をしていた時代の名残で
町内の年寄りたちは、全家庭を手伝いに動員することを主張したようだ。
14人ほどのほとんどが、かなり無駄な労力になってしまった。
受付をしている3〜4人以外は手持ち無沙汰な時間を過ごすはめになった。
もう時代は違うんだよ。。。

記帳や香典の整理にしても、昔のやり方と今のやり方のギャップに、
年寄りたちはかなり戸惑って、何度もくどくどと議論していた。
私などは、大体のことがわかったら、さーっと見て、
記帳してもらう欄のこの辺に後で金額書けばいいじゃん、と思うのだが、
昔どおりにやれないとなかなか気が落ち着かないらしい。
葬儀屋も、いろんな帳面を用意しすぎである。
そんなわけで、私の役が全部終わったのは3時過ぎである。


死因がまったくわからずにいたのだが、
喪主の挨拶の中できっちり説明があった。
2年間の入院は、「多発性骨髄腫」だった。
従兄弟の骨髄を移植したけど、それがあまりうまく適合してなくて
入院が長引いたとか。。。
ググルってみると「平均生存期間は30〜40カ月」って書いてある。
去年あたり、ちょいちょい立ち話をしていたとき、
彼が自分がもうそんなに長く生きられないと思っていたのだろうか、、?

今年に入ってからは、「間質性肺炎」で長く入院していたらしい。
この土日に外泊許可をもらって家に帰って過ごし、
日曜の午後から寝てたらしいが、、最期は脳出血だったと言ってたかな。。
その晩に救急車で運ばれて、朝に逝ってしまった。
我々にとっては急の知らせだったが、実は長い闘病の末だった。

若いころから中年になるまで、体はしっかり鍛えてたはずなのに、、、
本当にわからんものだ。。。
本当は、きょうみたいな日に、率先して走り回って世話を焼くのが
彼だったはずなのに。。。



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