昨夜まででDVDの「のだめカンタービレ」をLesson 5まで見た。 家族の要請もあって予約して買っておいたのだ。 TV放映中は特に最初の方は、半分も見ていなかった。 疲れて宵寝の多い時期でもあったし、あまり意識してなかったので忘れた。 しかし、ポップス風パフォーマンスを採り入れたベートーベンの7番とか マングース(着ぐるみ)のピアニカのラプソディー・イン・ブルーとかが、 あのころ、私を「のだめ」に一気に引き寄せた。 今回とにかく、このLesson 5までを連続して見ておきたかった。
私はしばしば人前に立って偉そうに合奏作りをしているけれど、 まったくの独学である。 いや、学というほどのまじめな勉強もしていない。 ただ、好きで聴き、好きで楽譜を眺め、自分なりのイメージを作っただけだ。 20代までは、「音楽は心だ!」に徹していた。 (もちろん正確に演奏することを軽視していたわけではない、、当たり前) 30代に入るころになって、ようやく、心の表現のために、 いかに基本的な技術や音色が大切かを痛感するようになった。 子どものころからちゃんとした専門家から音楽教育を受けて来た人たちとは 恐らく反対の道筋をたどったに違いない。
基本的に「音楽は心だ」には変わりない。 私は、普段見ていないバンドを頼まれて見る場合には、 基本的なところがちゃんとできているかを先に見るけれど、 普段見ているバンドの場合には、しばらくようすを見て、 団員がどんな表現をしてくるかをしばらく観察する。 できるだけ自発性に任せた方がおもしろい。 もの足りなければ要求するし、やりすぎだと思えば抑えさせる。 私自身が、合奏に入って演奏する場合には、自分なりの表現をするのだから、 ある程度までは、、、というか、かなりの程度まで、 団員の個性を尊重した方がおもしろい表現になると思っている。 もちろん、何にも表現してくれないときや、表現が流れに逆らったときは こんな風に弾いて、とお願いをすることになるのだけれど。。。 あくまでも、表現をするのは奏者であり、 指揮者というのは、それを引き出しつつ、交通整理をする役割である。
「のだめ」の作者がどんな音楽生活をしているのかは知らないが、 そういう意味で、かなり波長が合っているな、と思う。
「その曲とどれだけ真剣に向き合ったかが大事」 (本番前に)「さあ、楽しい音楽の時間だ」
こういう言葉も好きだし、千秋が「でたらめだ」とけなしながらも ついつい惹き込まれてしまうのだめのピアノ演奏場面も感動的である。 楽譜もろくに読めず、感性だけでピアノを弾くのがのだめである。 心の衝動に駆られてピアノを弾く分には生き生きした演奏をするが、 強制と抑圧の中では指だけが動いて音楽が死んでいる。 そんなのだめの顕著な姿が描かれるのはもう数話後だ。
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