TENSEI塵語

2007年03月31日(土) 「美しい日本」の意味

きょうも午前中出勤して図書館で仕事をした。
出てきていたのは7、8人といったところだったが、
普段は土曜日に見ることはめったにない人も3、4人来ていたらしいのが、
年度始めらしい珍しい光景といったところか。。。
正午には帰る予定だったが、なかなか終わらず、
30分以上過ぎても終わらないので、中断して帰った。
合間に、市吹で遊べそうな楽譜を部室で探して、ついでに持ち帰った。

食欲があまりないので、途中で食べに入ることも買って帰ることもせず、
帰宅してからあり合わせのカップそばを食べ、その時にやっと新聞を見た。

朝刊の1面トップは「高校教科書 集団自決「軍強制」を修正」である。
沖縄戦での集団自決について、「日本軍に強いられた」という趣旨のものを
「集団自決に追い込まれた」という風に書き換えさせて合格にしたそうだ。
「強制」の「証拠」が確かでないから、という点では、
晋ちゃんの「慰安婦」に関する発言と同じ流れにあるようだ。
悪行には関与していない正義の軍隊像に仕立て上げたいばかりなのか。。。

集団自決に追い込んだのが、味方の日本軍なのか敵の米軍なのか曖昧な
こういう叙述に書き直させたにしても、軍の命令によって
「捕虜になる恐れがあったら自決しろ」と手投げ弾を配らせられた人がいる
という事実はそのまま書いてもいいだろう。
明記すべきことはたくさんある。
日本が行った戦争は、国土を攻撃されてやむなく防衛した戦争ではなく、
他国に入り込み、他国を占領したり脅かしたりする戦争であった。
虐殺や略奪を行い、他国の領土に君臨することが、
勝っている間は英雄的行為として、多くの国民からも賞揚された。
そのしっぺ返しに、空襲や原爆の洗礼を受けて敗戦し、日本は反省した。
特攻という自爆攻撃や、集団自決も、悲劇として認識されるようになった。

戦争についての記述は、戦争という国家的行為が、
いかに反道徳的で、異常で、愚かな行為であるかを伝えることだ。
罪もない人々を殺戮して、なぜそれが正義となるのか?
そんなことは絶対にありえないことを伝えることだ。
未来ある有能な若者を次々に死に赴かせて、お国のための正義とする、
そんなことが正しい国家のあり方であるはずがないことを伝えることだ。
我々が歴史教育に期待するのは、戦争の異常さをしっかりと教え、
どうしたら世界から戦争がなくすことができるかを、
いかにして世界の歴史から学ばせるか、ということだ。

昨日の朝刊の1面トップは、教育再生会議の「道徳 教科に格上げ案」。
肝腎なことはぜんぜん話題にしないで、相変わらず机上の空論である。
しかも、その趣旨は
「我が国が培ってきた倫理観や規範意識を子どもたちが確実に身につける」
というところにあるようだ。
・・んで、それはなあに? と彼らに問いたくなってしまう。
彼らの道徳といえば、金、金、金。。。
名誉、名誉、名誉、、つまり、いわゆる、勝ち組。。。
名誉と金のためには規範も何もないんじゃないの? と言いたくなる。

道徳の根幹は、平和、愛、思いやり、命、自由、自律、相互理解。。。
社会や集団での規律というのもそこから自然と導かれるものだ。
そして、それはおそらく、普遍的な価値であるように思う。
平和や自由や思いやりといったことを本当の意味で極めてこそ、
美しい国、美しい社会が形成されると思うのだが、
どうも晋ちゃんを始めとする指導者層の考えることは違うようだ。

「我が国が培ってきた倫理観」っていったい何なんだろう?
どうして「規範意識」なんてものが真っ先に出てくるのだろう?
それを成績評価するって?
何でもはいはいと従順な子は5。
何でも自分の考えで疑問を呈したり異議を唱える子は2。
何に対しても無反応な子は1となるわけね?
戦時中とどれだけ違うの???


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