| 2007年03月30日(金) |
「今朝の三枚おろし」 |
きょうは休暇出勤した。 1日休暇をとっておいて、好きな時間に出勤して好きな時間に帰る。 妻が3、4日前にやり始めた方法で、目から鱗の名案である。 こんなことになぜ気づかなかったのか不思議である。 年度末なのに、休暇が何日も余ってしまっている。 仕事は毎日何らかしなきゃいけないのだが、もう年度の最後なんだから そうやって使い果たせばいいのだ。 来年はしっかりそれを心掛けよう。
久々にゆっくり出勤したら、車のラジオで、 めったに聞けない武田鉄也の「今朝の三枚おろし」が聞けた。 何らかのテーマをまな板にのせて、おろして行くトーク番組である。 今朝は、内・・何とかという著者の本を引用しながら、 堀江社長を賞讃した風潮について、さんざん批判していた。
それから仕事を3つほど片づけて帰宅し、 夕方から学年の飲み会に出かけて、飲み過ぎよりは食い過ぎて帰ったので もうその話はかなりおぼろげなものになってしまったが、メモしておこう。
金さえあれば手に入らぬものはないと、○○を欲しがり、、、(忘れた) TV局を欲しがり、野球チームを欲しがり、宇宙旅行を欲しがり、 こういう欲望はよくよく見れば、小学生が夢見る欲望と同じだ、、、 それでいて、彼は結局、どれも手に入れられなかった。 若者の中には彼を崇拝するものが続出し、 閣僚にさえ彼を賞讃し息子とまで呼んで持ち上げた者までいて、 あたかも時代の寵児のようなもてはやされぶりだったけれど、 そこにあるのは「無時間性」への憧れのようなものだ。 昔もてはやされたような、時間をかけて地道に1代かけて成功するような 苦労話ではなく、そう苦労しなくても手練手管であっというまに億万長者 という、時間を要しない勝ち組、が魅力だったのだ。
武田鉄也の話は、さらに教育について進んでいく。
すぐに効果が現れる、ということを中心に教育論議が進められている。 しかし、教育というものは、本当はそういうものではない。 (長い間に知らず知らずのうちに、その効果が熟成していくものだ というようなことを言ったような気がする) 小学校1年生の子どもを前に、この子が6年生になった時、、、なんて 見方ができるのは、現場で直に子どもに接している先生たちだけだ。 そういう人たちを抜きにして、教育論議がどんどん進められている。。。
さすが、だてに長年金八先生を演じてきたわけではないようだ。 教育再生会議など、名称だけはすごく立派だけど、 傍観者の思いつき意見を練っているだけである。 そうだ、、、鉄矢はこうも言っていた。
教育論なんてのは誰にでもできる。 その辺のおばさんが、もっと伸び伸び育てたい、と言ったとしたら、 それはそれで、ひとつの教育論になる。。。
ここからはまた私の持論だが、個々の生徒を見ると、同じではないのだ。 伸び伸びさせたい子もいれば、しつけなければならない子もいるのである。 伸び伸びさせた方がよい集団もあれば、 伸び伸びさせたら収拾がつかなくて学習不能な集団もある。 教育論はさまざまで、どれも一理あるけれど、現場もまたさまざまなのだ。 集団としてよかれと思ってしたことが、個人にとって害の場合もある。 そういう英外的なケアにあくせくしなければならないこともある。
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