定演も終わり、終業式もきょう終わったから、これで束の間の解放である。 担任じゃない代わりに、1年通じてさまざまな雑務に追われていたが、 担任じゃないおかげで、指導要録を書かなくてもいいのは実にありがたい。 入試関係の会議や合格者登校日や転入考査など、いくつか仕事はあるが、 数日間はわりとゆとりある時間が過ごせそうだ。
夕方、校長に呼ばれて、図書主任続投を言い渡された。 実は校長室へ呼ばれたときに、学年主任をやれを言われるのではないかと そんな懸念もあってやや緊張していたのだが、ほっとした。 もしそうだったら、しばしゴタゴタと争わなければならなくなる。 しかし、今の校長は私の気質や得意分野をよく知っているので、 あの10年ほど前の校長・教頭のような無茶なことは言わなかった。 まぁ、図書主任続投は当然だろう。
なぜなら、年度末の反省で、 夏休みの課題としての読書感想文の廃止、多読賞の廃止、という、 長年続けられてきた図書館業務の廃止を2つも掲げたからである。 普通は、他から廃止しろと言われても、図書館の側が既得権として守ろうと するもので、自ら廃止しようとするのは案外勇気がいるものだ。
多読賞なるものも、何年か前の図書主任が職員会議等でお願いを重ねて、 苦労して得た読書奨励策のひとつなのだろうけれど、 貸出冊数が多いというだけで「多読」として表彰するのはやはり変だ、と、 2年がかりで結論して廃止案を出した。 これは、あること自体がおかしいから、なくして当然である。
それに対して、読書感想文の方は、なかなか微妙な問題である。 私自身は、読んだ本について書く、というのは大事なことだと思っているし 読解力を高めるには最高の勉強法だと思っているが、 全員に課する課題としては廃止すると宣言したのである。 また、私自身は、中一の時に、 「クラッシック音楽を3曲以上聞いて、それぞれの感想を書け」という 音楽の夏休み課題をきっかけに、音楽きちがいになって今に至っている。 だから、「感想文を書くため」に読書したり音楽をきいたりするという いびつな手段も、大切なきっかけになり得るということを体験している。 (しかし、あのころ、1学年15クラス、約600人いたはずだが、 あの課題で音楽きちがいになったのは、たぶん私ひとりくらいだろう) また、前任校でようやく「朝の読書」を本格的に始めたとき、 その理念に反するからと、読書感想文の課題を廃止しようとしたら、 思わぬ激しい抵抗にあって、廃止できなかったという経験もある。 教員の中には、読書感想文の課題に対してある種の信仰を抱いている人も 少なからずいるようなのだ。
しかし、読書感想文の課題は、さまざまな問題を抱えるようになってきて いるし、回収しクラス選考する担任の負担もかなり重い。 それを敢えて続行する割に、大した読書指導になってないのが現状だ。
この2カ月ほど、この問題に取り組み始めてから、 朝の読書は7減授業や小テスト偏重主義のためにできないながらも、 それに代わる新しい方法が、だんだんと見え始めてはいる。 ただ、それを具体化するためには、いろいろな方面に相談が必要だ。
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