雛人形というのは、もともとは平安貴族の娘たちのリカちゃん人形みたいな ものだと、長い間思い込んでいたのだが、 (しかも、これはいい喩えだと思い込んでいたのだ) 先日朝のラジオの鈴木杏樹の話をきっかけに調べ直してみたら、 今のような豪華な雛人形の形ができたのは江戸末期から明治にかけてらしい。
原型は「形代(かたしろ)」で、紙でもなく、草木で作った人型だった。 それを撫でることによって身の不浄を託し、川に流した。
それから、「天児(あまがつ)」「這子(ほうこ)」といった簡素な人形が 作られるようになり、枕元に置いて子どもの無事な成長を願うようになった。 それが男女一対の立ち雛へと変わって行った。 この過程で、平安時代の「ひひな遊び」があるようだが、 この、上巳の祓用の人形とは別に、遊び用の人形があったらしい。 それがどの程度のものだったのか、今のところはちょっと調べかねている。
とある雛人形屋のサイトで、江戸時代の人形の変遷を見ることができる。 しかし、これは最上段の一対の内裏雛の変遷だけである。 他のサイトによれば、嫁入り道具の調度などもごてごてセットにした、 今の段飾りの形に発展したのは、江戸時代末から明治にかけてだという。
王朝貴族の娘たちもリカちゃん人形で遊んでいた、という想像が崩れて、 非常に残念だが、間違った思い込みを信じているわけにもいかない。
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