TENSEI塵語

2007年03月02日(金) 子どものころ

橋本さんのきょうの日記は「子どもに還るたのしみ」である。
あと数年で停年を迎え退職したら、「子どもの時間」を取り戻せる、
それが楽しみだ、というもので、共感しながら読んだ。

彼は、子どもの頃に抱いた夢として、小学生のころは雲に乗りたいと思い、
中学生のころは月面に立ちたい、と願ったことを書いている。
これに刺激されて、自分の夢を思い出してみたら、
これよりうんと小さいものだった。
しかし、小さいけれど、いろいろな意味で大それた夢であった。

小学生の頃(4・5年生の頃かな?)私がかなり長い間夢みていたのは、
怪獣の着ぐるみの中に入る俳優である。
あの、街やビルのセットを踏みつぶし破壊しながら暴れ回るのに憧れた。
あれを着たまま、時には水に入り、時には宙づりになるのにも憧れた。
しばしば、眠っているときの夢にも見た。

中1のとき、それまでGSに夢中だったのに、いきなりオーケストラの音楽
を熱心に聞くようになり、部活もバスケットから器楽合奏部にかわり、
コントラバスを練習し始め、前部長から指揮法の手ほどきを受け、
それからしばらくは、オーケストラの指揮者になるのが夢になった。
これはもう、かなり病的なほどの夢であった。
毎晩のように夢で見て、汗びっしょりになって起きる時期もあった。
オーケストラスコアを手に入れては、繰り返し聞き、時には指揮棒を振り、
それ自体が新たな発見に満ちた至上の楽しみで、研究しまくった。
このころは、音大には行けないことと、指揮者になる夢は、
私の頭の中ではまったく関係づけられてなかったので実に気楽な夢だった。

ついでに子どもの頃を振り返ってみると、さまざまな映像の断片が浮かぶ。
ほとんどが外であり、固定されないさまざまな遊び友だちである。
とにかく大らかな時代でもあったし、大らかな土地柄でもあったので、
今のように子どもがひとりで歩いていると危ないなんて雰囲気はなかったし
裁判所の中庭やお寺の境内で、子どもたちが野球をしてようが、
缶蹴りして騒いでいようが、虫取りをしてようが、お咎めなしだった。
寺の廊下に上がり込んでめんこをしていても、誰も咎めなかった。
冬には、崖の中腹のちょっとしたスペースや、城に登る車道を
勝手に自分たちのスキー場のようにして、滑って遊んでいた。。。
もちろん、同級生の友だちと約束をして家を訪ねることもあったわけだが、
向かいの家の年下と遊ぶこともあり、町内の雑多な年齢の集団の時もあり、
小学校の校庭に行けば、いろいろなことをやっているので、
適当にその中のひとつに加わったり、妹を連れて遊びに出ることもあれば、
兄とキャッチポールやバドミントンをしていることもあった。
どういう経緯や計画で、毎日の過ごし方が決まっていたのか思い出せないが
実に伸び伸びした気ままな毎日であった。

私の場合、その気ままな精神は高3まで続いてしまった。
学校の勉強などそっちのけで、音楽を聞き、楽譜を読み、楽譜を書き、
ギターやリコーダーを鳴らして遊んでいたし、
本を読みまくって、また文章を書きまくっていた。
さすがにそのころはもう、あまり外で遊ぶことはしなくなったけれど。。。

今の私は、といえば、「〆切」のない生活、明日が気がかりでない生活に
ひたすら憧れている。
とりあえずの予定では、あと9年はお預けであるが。。。
酒・煙草・夜更かしなど、身体のために良からぬことばかりやっているから
いつまで生きられるかわからぬというに。。。


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