TENSEI塵語

2007年02月24日(土) 「子音語幹/母音語幹」をめぐって

研究社が出している「シリーズ・日本語のしくみを考える」(町田健・編)
の「日本語文法のしくみ」(井上優)を一昨日読み終わって、
「日本語学のしくみ」(加藤重弘)を読んでいるところである。

「日本語文法のしくみ」を読んでいた中でもっとも興味深かったのは、
動詞の活用について、「五段活用/一段活用」という種別でなく、
「子音語幹/母音語幹」という種別をする考え方があるということだった。

   読 ま  せる     yom  aseru
   読 み  ます     yom   imasu
   読 む         yom  u
   読 め         yom   e
   読 も  う      yom   ou
             (子音で終わる語幹)

   変 え  させる    kae   saseru
   変 え  ます     kae   masu
   変 える        kae   ru
   変 えろ        kae   ro
   変 え  よう     kae   you

     着  させる     ki   saseru
     着  ます      ki   masu
     着る         ki   ru
     着ろ         ki   ro
     着  よう      ki   you
             (母音で終わる語幹)

なるほど、この「子音語幹/母音語幹」という種別はすっきりしている。
「上一段活用」の「着る」や「見る」などは「語幹なし」ということになる
が、「母音語幹」の方では「ki」という語幹を持つことになる。

この比較を通じていろいろなことを考えてしまう。

「着る」の活用は「き・き・きる・きる・きれ・きろ」なのか?
「変える」の活用は「え・え・える・える・えれ・えろ」なのか?
実は「着」や「変え」に、いろいろな語をつけているだけではないか?
だから、「変える」「変えろ」ではなくて「変え - る」「変え - ろ」
「着る」「着ろ」ではなくて「着 - る」「着 - ろ」ではないのか。。。
つまり、基本形は「変え」「着」で、それに「る」のついたまとまりを
文の中の位置によって、終止形とか連体形とか呼んでいるだけだ。。。

そうなると、「読む」の基本形は、実は「読m」ではないか、、、と。。。

その時私は、実は、現代語について考えていたのではない。
現代語でこれを考えるとややこしくなるような気がしたのだが、
(長年の間に習慣化され、さらに変化してきたものだからだ)
古語を思うと、いろいろ思い当たる節があるのである。

例えば、完了・存続の「り」は、直前に「e」の母音を要求する。
それも、当時の仮名文字の使われ方から、特殊な「e」音だったらしく、
「四段活用の命令形かサ変の未然形」の後に来ると言われている。
だとしたら、「り」は実は「eり」でなければならない。
同様に、受身や自発の意の「る」(今の「れる」)は、
直前に「a」音を要求して、四段活用・ナ変・ラ変の未然形につく。
使役の「す」(今の「せる」)も同様である。
だから、「る」も「す」も、実は「aる」「aす」だったかもしれない。
つまり、「読m - aる」「読m - aす」である。
そして、四段活用系の動詞でない場合には「r-aる」「s-aす」が、、、

と考えるうちに、私の頭は次第に混乱し始めた。
そもそも、二段活用というのは母音語幹か子音語幹か、と考え始めたからだ。
もしそれも子音語幹だとすると、「iらる」「eらる」があったことになる
し、「ず」ひとつとっても「aず」「iず」「eず」の3種があったことになる。
これは却ってややこしいばかりでなく、
どのようにそれを付け分けていたのか、法則性も見えにくくなる。。。
下二段活用には「得」「寝」「経」のようないわゆる「語幹なし」の動詞が
あるから「母音語幹」で考えていいのかな、とも思ったけど、
今のところ私の中では整理しきれない問題のような気がする。

しかし、おもしろいと思ったんだけどなぁ。。。
なぜ「あり」だけが基本形が「あり」となってラ変活用なのか、
実は「あr - eり」の「あれり」を文の最後でよく使っていて、
それの縮まった「あり」が定着して終止形とみなされた、などと
大発見をしたつもりにもなっていた。
(これは以前にも「あれ - り」として考えたことがあったけれど、
 じゃ、うんと昔は「ある」だったのか、と言われたら困ると思っていた)

また、古代日本人は、動詞を活用変化させたのではなく、
動詞も、名詞の後に助詞をつけるのと同じで、
同じ語の下にいろいろな言葉をくっつけただけだ、
ということにもなるかもしれない、という期待もあったのだ。
しかし、そうなると、助動詞や形容詞でも同様のことを考えねばならない。
これはそうとう厄介なことになってしまう。。。

古語には「にあり」が「なり」になり「ずして」が「で」になるとか、
音の変化という点でおもしろい現象が既に多く起こっているし、
「因縁」とか「三位」とか、「n」や「m」の子音がくっついたりする例も
しばしばあったようなので、案外、子音が口元で活躍したかもしれない、
という考えも浮かんでしまったわけだ。
そんなわけで、先日おもしろがってしばし考えていたのだけれど、
早々に頓挫である。

もう少し勉強してから、それでも尚考える価値ありと思えたら
また考えてみることにしよう。


ついでながら、今朝読んでいたところに、「です」「ます」等について
書いてあったので、先日ばらばらに調べたことではあるけれど、
メモし忘れていたので書いておこう。

「です」は「にて候ふ」→「んで候ふ」→「で候ふ」→「です」
「ます」は「参らす」と「申す」の転。
「〜た」は「たり」の転。
「〜う」は「む」の転。
「〜だ」は「にてある」→「である」→「であ」→「ぢゃ」または「だ」


これもまたついでながら、助詞の「へ」はもともとは名詞だったので、
「学校にの道」とは言えないけど「学校への道」とは言える。
そういえば、「方」とか「辺」を「へ」と読む例が多いもんなぁ。。。
名詞も助詞にしてしまうとはねぇ。。。

あー、ちょっとめんどくさくなってきたから、昼寝でもしようっと。


   
   


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