| 2007年02月22日(木) |
日本語の語順とSVO |
正月以来、橋本さんに刺激を受けながら日本語についてしばしば考え、 本当におもしろい問題がいっぱいあるもんだと今さらながら驚く。 国語を教え始めて25年も過ぎたが、あまり熱心に考えなかった。 ちょっと悔やまれるところだ。 時折、場当たり的に考えなきゃいけないこともあって、 そうした断片的思考の積み重ねがないわけではないけれど、 もっといろいろな問題意識を持ち続けていたら、 もっとおもしろかっただろうに、、、という後悔があるわけだ。
英語やフランス語と比べて、日本語は実に要領の得にくい語順だなぁ、と つくづく思ったことがあるが、 そのために日本語がどういう性格を帯びるかについて考えたことはあっても、 そもそもなぜそんな語順を取るようになったのかは考えたことがなかった。もちろん、日本語は、助詞や助動詞のつけ方さえ間違わなければ、 (つまり、いわゆる文節単位、あるいは先日私が気に入った 直接構成素単位さえ、しっかりできていれば) どんな順序に配列してもそう不都合がないわけだが、 たいていは述語部分が最後に来るという構造について考えてみたわけだ。
その答えは簡単であった、、、用言に終止形があるからである。。。 しかし、「終止形」というのは、使われ続けてきた日本語を後から眺めて そう名づけたに過ぎない。 考えなければならないのは、実際に話していた人々が そう語らねばならなかったのはなぜか、ということである。
そこで、活用語がどのように作られているかを調べなきゃいかんかな? などと思って、いろいろに思いをめぐらせていたのである。
ところが、ふと思ったのである。 「〜が。」「〜に。」「〜を。」、、、等々では「きちんと」終われない。 こういう語は、後に何かを要求している。
太古の人々は最初はそんなことを気にしなかったかもしれない。 これはあくまでも想像であるが、最初は助詞などなかっただろう。 かろうじて単語だけがいくつか作られ始め、(めんどうなので現代語で) やま のぼる わたし のぼる わたし やま やま わたし のぼる などと適当に並べてとりあえず通じていたのではないかと思う。 ところが、つぎのようなパターンになると困ってしまう。 あなた ころす かれ かれ ころす あなた ころす あなた かれ これではどちらがどちらを殺すのかわからない。 それで、次第に「格」を明確にしつつ言語が発達したのだ。 西欧語は名詞自体を変化させることによって格を表したし、 前置詞を用い、助動詞も動詞の前に置いて表現を豊かにした。 日本語は名詞は変化させず、助詞を後につけることによって格を表し、 動詞・名詞・形容詞の後に助動詞を置いて表現を豊かにした。 これで、 ころすだろう あなたを かれが と言いさえすれば誤解なく通じるようになったわけである。
しかし、「〜を」や「〜が」は後に何かを要求する雰囲気があり、 「ころす」や「〜だろう」はもはや何も要求しない雰囲気がある。 これは言語そのものだけでなく、意識の必然と結びついた自然の成り行きだ。 基本的な構造が、 あなたを かれが ころすだろう かれが あなたを ころすだろう 式になるのに、そう時間を要しなかったに違いない。
西欧語も、格変化の厳格だった時代はこういう語順だったそうだし、 日本語と同じく比較的自由に語を並べていたそうだし、 日本語と同じく主語が省略されることもしばしばだったそうだ。 とすれば、不思議なのは日本語の語順でなく、 現代の英語に代表されるSVO式の語順の方なのだ。
英語の語順が今のような形に落ち着いてきた理由は、 格変化が次第に曖昧になり、無きに等しい言語環境になってきたためだろう。 それにしても、なぜSOVではないのか? He me loves. ならまだいいけれど、 I you love. みたいになると、耳で聞いている分にはちょっと具合悪い。 人称代名詞にはまだ目的語になる格があってまだいいけれど、 普通名詞や固有名詞にはそういう格がないので、 動詞を挟む形で分離して、分かりやすくしたのだ。
フランス語も基本的にSVOであるが、 目的語が人称代名詞の場合はSOVである。 Je t'aime. (I love you.) Je vous remerci. (Thank you. の丁寧な言い方) イタリア語でもこういう場合は Io ti amo. とSOVである。 先日まで、英語とフランス語のこの点での違いは、 フランス語の人称代名詞の目的格が、ム、トゥ、ル、ラ、ヌ、ヴ、レと、 1音だけで軽快で、語呂がいいからとだけ考えていた。 しかし、それだけではなく、格が明確になっている限り、 人間の意識はSOVの語順を自然に求めるのではないかということである。 残念ながら、私には西洋語の感覚がよく飲み込めないので、仮説である。 (あ、でも、vous だけは主格・目的格とも同じだなぁ、、、)
それにしても、なぜ日本語が後置詞を用いるようになったのか、 (それと同様に)助動詞をなぜ単語の後に用いるようになったのか、 それこそが最大の謎だ。 そして、名詞や代名詞はそれらと結びつくために活用を要せず、 動詞や形容詞はそれらと結びつくために活用させられた。 単語を変化させるということと無縁な言語でもないだろうに、 名詞を変化させて格を明示するのでなく、助詞をつけてそれを表した。 動詞だと、たった1字の動詞でも、まったく姿を変えてしまっている。 それなのに、名詞を格変化させることは避けて、助詞を用いた。 それはなぜかというのは、どう考えても大いなる謎である。 今、我々の目から日本語を冷静に眺めると、 助詞や助動詞の働きは実に合理的に見えるのだが、 西欧語の前置詞というのも、同じくらい合理的に見える。 それはなぜだろうか? そのためには「慣れ」の視点から1度出てみなければならない。 実に難しいことだ。
|