| 2007年01月12日(金) |
「気が置けない」という言葉 |
長〜〜い長〜い4日間だった。 疲れ果てた。 仕事満載だった。 のんびり休暇の後では、実につらい4日間だった。 朝起こされてすぐに50mを10秒以内で走れ、と言われたようなものだ。 やっと一息つける、、、? しかし、明日もまだ仕事だ。
今夜は、何とか夕飯後にダウンすることなく、 橋本さんが「気」という語について書いていたことに触発されて、 ふと思いついて「気がおけない」ということばについて考えてしまった。 もう寝なきゃならないので、それについて橋本さんに書いたメールを 貼りつけて、きょうの日記にしておこう。
//////////////////////////////////////
「気」といえば。。。
本当に、「き」というたった1音の語に、 さまざまな思いをこめて使って来たんですね。 (「を」などの助詞にも言えることですね) このごろ僕も広辞苑(ただし電子辞書です)での確認が増えているのですが、 こういうことを綿密に分類して明らかにしようとしてきた人々の 苦労を思いやってはひたすら感心しています。 しかし、それ以上に、誰が決めるともなく、こうしたさまざまな用法を、 不特定の多数が使いつつ定着させてきた不思議な歴史。。。
僕が以前何年も意味が覚えられなかった慣用句が、「気がおけない」です。 実に油断ならぬことばですなぁ、これは、、(笑) この言い方だけ見るとどうしても「心を安心して置けない」イメージなので、 「油断できない」「心を許せない」みたいに取ってしまうのです。 ところが、それは文章の前後の流れと合わないのです。 おかしいなぁ、、と思ってその都度辞書で確かめると、 「気をつかわなくてよい」「気詰まりでない」などと書いてあります。
何で??
遭遇するたびに辞書を引いているうちに、 「心を許せない」じゃないぞ、その反対だぞ、と意味だけは覚えましたが、 この言い方の仕組みだけはどうもよくわかりません。 さっき僕も「気」の項目を見ていたのですが、 「あれこれと考える心」という意味の項目の用例に、 「気を揉む」「気に病む」「気を回す」と並んで 「気が置ける」(うちとけられない)が入っていました。 「気を揉む」「気に病む」なんて実におもしろい表現で、 イメージとしてもわかりやすいですねぇ。。。 こういうのは、凝った表現のわりに、辞書を調べなくても何となくわかる。 ついでに言うと、「気が気でない」というのも、 「自分の心の状態が自分の心の状態でないようだ」みたいな感じで、 何となく意味が感得されてしまいますね?
しかし、「気が置ける」「気が置けない」はやっぱりわかりにくい。 この場合の「気」が「あれこれと考える心」、、な〜るほど、と思っても、 じゃ、「置ける」「置けない」は何だ?? と不思議。。。
この場合の「置ける」は可能動詞? そんなのあり得んわなぁ、、、 じゃぁ何だ??!! と思っているうち、思い出したのが、 先日BBSで紹介してもらった誰ぞやの、 「er は『自分の力が及ばないできごと』を表す」とかいう仮説。。。 「oku」に「er」が入ると「okeru」ですね。 つまり、「気が置ける」は、 「あれこれ考える心がついつい置かれてしまう」意味で、 「気が置けない」は「あれこれ考える心が置かれないで済む」という意味? うん、確かかどうかわからないけど、これだったら何とか納得できる。
おかげさまで、長年の疑問がかなりすっきりしてきました。 あの人の「er」論についても、もっとしっかり考えてみたいと思います。
それにしても、本当に言葉というのは不思議。。。 誰かがある時発明して、きょうからこういう風に使おうぜ、と定めたわけでなく、 どこからともなく生まれ、使われ広まりつつ定着してきたのですから。。。 しかもそれが、後から使われ方を分析してみると、多様に分類される。。。
|