朝起きたときはそれほど気にならなかったのだが、 出勤して車を降りるときにちょっと難儀をしてかなり腰が痛いなと思った。 きょうはまた運の悪いことに、5時間も授業が詰まっている上、 司書を兼任している実習助手が欠勤である。 3階4階に何度も上がらなければならず、経ちっぱなしも多く、 夕方ごろには腰痛もかなり深刻な状態になってしまった。 それでも、どうしても明日課題考査の答案返しをしなきゃならんと、 2クラス分の採点を7時近くまで根詰めてやって帰宅した。
夕食後30分ほどで、どうにも耐えられず、横になったら、 瞬時に沈没して、2時間ほど眠った。 頭は少し冴えたけれど、腰痛はさらにひどくなった感じだ。 困ったなぁ。。。。
さて、こうして日記を開いたら、きょうは1が3つ並ぶ日だと気づき、 どんな語呂合わせの記念日が作られているかと不意に興味が湧いて、 検索してみたが、、、、意外なことにそういうものはなかった。
あれ? きょうが鏡開きなの? 今年はもうとっくにやってしまった。 餅がまだぜんぜんかびてないうちにと、8日にバラバラにして、 一昨日、娘に鶏鍋を作らせて、それに入れて食べてしまった。 そうかー、ホントは11日なのかー。。。
ある時期まで、鏡開きの「開き」はひび割れをこじ開けるようにして 砕いていくから「開く」と言うのだろうと邪推していたものだが、 ある時、「切る」という語を避けて「開く」を使ったのだと知って、 その発想の豊かさに驚いたものだった。 ついでにその時「鏡餅」という語の由来も調べたら、 形が鏡に似ているからだということで、少々がっかりした。 あの平たく堅い円形の鏡と、ふくよかな餅のイメージが結びつかない。 しかし、昔の人にとっては、鏡は霊力のある特別の存在で、 神事・祭事に欠かせないものだったから、 我々が単なる平たく堅い円盤と思うのとはまったくイメージが違うのだ。 ちなみに、「かがみ」の語源は「影見(かげ+み→かが+み)」である。 「鏡」という漢字で見ると、硬い物質的なイメージが強いが、 「影見」だと思うと、昔の人が不思議に感じた思いが伝わってくるようだ。
もうひとつの記念日は「塩の日」だという。 上杉謙信が武田信玄に、戦の最中なのに塩を贈った、 「敵に塩をおくる」のもとになった日だという。
動機はどうあれ、調べてみると意外なことを知ったりするものだ。
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