TENSEI塵語

2007年01月10日(水) 18歳成人案

先日ラジオで、18歳で成人とする案についてどう思うか意見を募っていた。
何人かが電話やメールで意見を表明していた。
大ざっぱに見ると、おばさんたちは賛成が多いがおじさんたちに反対が多い。
賛成派は、今よりもっと早くから「責任」を持たせたい。
反対派は、今の18歳はどう見ても子どもだ、もっと遅くてもよい、
高校卒業して社会に出てから最低2年、社会勉強のグレイゾーンも必要だ。
だいたいそんな意見であった。

私は日ごろから、高校生を子ども扱いし過ぎ、と思ってるから、
18歳でもいいし、15歳でもいいぞ、と思っている。
市であんな無駄づかいの成人式など開かなくていいから、
中学校か高校の卒業式がそのまま成人式でもいいと思う。

その代わり、文科省も教育委員会も、
我々教員に、高校生たちを子ども扱いすることを禁じてほしいものだ。
生徒が好き勝手をやっても、指導が足りなかった、配慮が足りなかった、
そんなことを言わないでほしいものだ。
好き勝手をやったりしたら、それは自分のところに返ってくる、
それを学ばせて、成人式を迎えさせてほしいものだ。
学校という場を、社会で生きるとはどういうことか、
社会参加とはどういうことか、政治に参加するとはどういうことか、
多角的に考えることのできる場にしてほしいものだ。

しかし、彼ら政治家や官僚たちには、
成人年齢を2歳だけ下げる観念的な論議はできても、
本質的な改革をする勇気はまったくないに違いない。
だから、精神が子どものままの教育を教育現場や家庭に強いて、
成人にだけさせて、その責任を教育現場や家庭に負わせることになるのだ。
彼らの体質からして、そんなことは見え見えである。

だから、私自身は15歳で成人だっていいと思っているけれど、
彼らが20歳から18歳に下げようとしていることには賛成できない。
そのための教育の方針まで示してもらって、
それがちゃんと適切かどうか確かめなければ、賛成できない。

現在の20歳の成人式だって、バカな光景がそこら中にある。
これのもっとも大きな要因は、文科省や教育委員会がバカだから、
と私は思っている。
小心者の集団だから、本当に教えるべきものを歪めてしまっているのだ。
教員は毅然としろ、と若いころからよく聞かされてきたけれど、
もっとも毅然としてないのはお前らだ、と年ごとに認識を深めているほどだ。

抜本的な教育精神の改革もできないくせに、
数字にだけこだわって、それで大改革のつもりで得意がってるのが彼らだ。
ホントに気楽なやつらだ。


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