先日ラジオで、18歳で成人とする案についてどう思うか意見を募っていた。 何人かが電話やメールで意見を表明していた。 大ざっぱに見ると、おばさんたちは賛成が多いがおじさんたちに反対が多い。 賛成派は、今よりもっと早くから「責任」を持たせたい。 反対派は、今の18歳はどう見ても子どもだ、もっと遅くてもよい、 高校卒業して社会に出てから最低2年、社会勉強のグレイゾーンも必要だ。 だいたいそんな意見であった。
私は日ごろから、高校生を子ども扱いし過ぎ、と思ってるから、 18歳でもいいし、15歳でもいいぞ、と思っている。 市であんな無駄づかいの成人式など開かなくていいから、 中学校か高校の卒業式がそのまま成人式でもいいと思う。
その代わり、文科省も教育委員会も、 我々教員に、高校生たちを子ども扱いすることを禁じてほしいものだ。 生徒が好き勝手をやっても、指導が足りなかった、配慮が足りなかった、 そんなことを言わないでほしいものだ。 好き勝手をやったりしたら、それは自分のところに返ってくる、 それを学ばせて、成人式を迎えさせてほしいものだ。 学校という場を、社会で生きるとはどういうことか、 社会参加とはどういうことか、政治に参加するとはどういうことか、 多角的に考えることのできる場にしてほしいものだ。
しかし、彼ら政治家や官僚たちには、 成人年齢を2歳だけ下げる観念的な論議はできても、 本質的な改革をする勇気はまったくないに違いない。 だから、精神が子どものままの教育を教育現場や家庭に強いて、 成人にだけさせて、その責任を教育現場や家庭に負わせることになるのだ。 彼らの体質からして、そんなことは見え見えである。
だから、私自身は15歳で成人だっていいと思っているけれど、 彼らが20歳から18歳に下げようとしていることには賛成できない。 そのための教育の方針まで示してもらって、 それがちゃんと適切かどうか確かめなければ、賛成できない。
現在の20歳の成人式だって、バカな光景がそこら中にある。 これのもっとも大きな要因は、文科省や教育委員会がバカだから、 と私は思っている。 小心者の集団だから、本当に教えるべきものを歪めてしまっているのだ。 教員は毅然としろ、と若いころからよく聞かされてきたけれど、 もっとも毅然としてないのはお前らだ、と年ごとに認識を深めているほどだ。
抜本的な教育精神の改革もできないくせに、 数字にだけこだわって、それで大改革のつもりで得意がってるのが彼らだ。 ホントに気楽なやつらだ。
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