朝刊を見たら、1面トップのでかでかした文字が「いじめ緊急調査へ」 その横にやや小さく「補正予算案 相談員も拡充」とある。 文科省が毎年行ってきた実態調査が、実態と合ってないかも知れないので、 どういう方法で調査するのかはわからないが、これから検討するそうだ。 また、補正予算で、スクールカウンセラーの配置率を高めるそうだ。
もちろん、そういうことをやってもらってもかまわない。 しかし、実態調査したところで、スクールカウンセラーを増やしたところで、 肝腎なことをしなければ意味がない。 スクールカウンセラーというのは、いじめが起きてから活躍する人だし。。 いじめだの、争いごとだのが起きない環境作りをしなければいけない。
まず、小学校を、1クラスあたり2人教員体制にすることが第一である。 今は、1クラスあたり1人教員体制である。 これはもうさまざまな問題を生んでいるのだが、 いじめ防止対策にもこれはぜったい必要である。 子どもたちは、もう4、50年くらい前から比べると格段に多様化している。 ごく普通の知能の子の中にもまったく道徳観の欠如した子がいるし、 ADHDの子も増えているし、障害児学校に入るべき子が、 親の希望で普通教室に入っている場合もある。 担任1人だけで、何の問題も起きないようにすることができる時代ではない。 小学校の場合は、担任3人制でも多すぎないくらいだと思う。
常に教室やその近辺に先生がいて、子どもたちのことを見ている、 という環境の中では、学校内でのいじめというものはまず行われないだろう。 もちろん、最近しばしば問題になったように、 いじめの現場を見ていながらそれを見ないふりをしているような教師が いては、何にもならない。 いじめに限らず、絶対に許してはならないこと、についての、 教員間の合意がちゃんとできてないといけない。
人として絶対にやってはいけないこと、守らなければいけないこと、 やらなければいけないこと、、こうした教育は子どものうちに受けてほしい。 できれば、勉強の楽しさも、小学校で身につけられるように。。。 小学校までの時期というのは大切だと思うのだが、 旧文部省も、現代の文科省も、不思議なほど小学校教育を軽視してきた。 教育基本法を変えなくても、まずここを変えることが先決だ。
基本的なしつけは家庭で、、、なんてことはすべてには期待できない。 この60年の変遷を見よ。 戦後生まれで、自由とか民主主義の意味も曖昧なまま成長し、親になった、 その親に育てられた子どもの子が、最近の子どもである。 分別ある親がいなくなったぞ、と言っているのではない。 少なくとも高校で保護者会をやっている限り、 無責任で勝手なことばかり主張する親はごくわずかである。 たいていは分別もあり、子への愛情も十分に備えているようだ。 しかし、子どもの社会は、親や教師の指導の及ばないところで、 着実に汚染され続けてもいる(ケータイ、PC、TV、ゲームなど)。 また、親の愛情不足や、親から教育を放棄されて、荒れた子どもたちも、 子どもたちの社会を汚染し続ける。 そうして、道徳観のますます希薄になった子どもたちが、 やがては親になって子を育てて行くようになるわけだ。
だから、小学校までの教育が、もっと手厚くならなければならないのだ。 ここで、基本的な善悪の感覚を叩き込まれなければならない。
また、いじめについて、もうひとつ。 昔からいじめはあった。 最近、特に過敏な社会問題になってしまったが、昔からあったのだ。 確かに増えてもいるのかもしれない。 教育現場が、助け合いや協力ということよりも、 競争原理と勝ち負け重視の風潮をどんどん加速してしまったから、 子ども社会にも弱肉強食の雰囲気が蔓延しても不思議ではない。 しかし、一方で、いじめられたと悩む水準も変化しているかも知れない。 ひと昔前だったら、いじめには当たらなかったことでも、 深刻ないじめと受け止めて、自殺か否かと思いつめるケースもあるかも。。 2、3年前、ケータイにまつわる一種の症候群として、 ケータイは持ったものの、だれからもメールが来ないので、 孤独感に苦しめられる中・高生の問題があった。 被害妄想的な子どもたちもまた、増えているのだ。
だから、いじめ問題というものは、教師が実際に目にしたところから、 対話を重ねて実状を把握し、指導していくしかないものだ。
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