TENSEI塵語

2006年11月01日(水) これも、ある昔話

きょうは1時間目のLTの時間に、教室に行かなくてもいい1年の副担任は
体育館の椅子片づけとシート巻きで、腰を痛めた。
それから4つの授業で、何度階段を上り下りしたことか。。。
しかも運悪く夕方の戸締まり当番で、校舎の窓の点検に回ったころの
つらかったことといったら。。。
まー、ホントに酷使されとるわなぁ。。。
というわけで、久々に2時間余も宵寝をして起きてきたところである。


さて、起きてから、書きたいことはぐるぐる頭の中をめぐったけれど、
書き始めたらどれも膨大な長さと、めんどうな前置きが必要な気がして、
ついつい怯んでしまってなかなか書き始められず、虚しく時間が過ぎた。
もうそろそろ寝た方がいい時間が近づいている。
そのぐるぐる巡っていた中の、ちょっとしたエピソードをひとつ。。。

教員になって2年間は定時制だったが、3年目に全日制に転勤した。
転勤していきなり2年生の担任を任された。
今までになかった定員割れの学年で、たいへんな生徒もいたが、
荒れまくって自殺した教員もいたほどの定時制の後だから、
その点では何ということもなかった。
今までの教員生活の中で、このころの生徒が最もかわいく懐かしいほどだ。
問題児たちは、確かに横着な暴れん坊であったけれど、
昨今我々を悩ませている、怠け者で自分勝手な悪坊主ではなかった。
エネルギーの捌け口が管理的な学校環境と合わなかっただけで、
その証拠に、学校行事となると、担任以上に指導力を発揮してくれたのだ。
だから、’03年の6月4、5日に書いたような難業を、
彼らのためにやってやりたいという思いにもなれたのである。

私にとっての問題児は、むしろ優秀な生徒の中にいたようだ。
成績優秀者を集めた選抜クラスの授業も持ったが、
その中の2人ほどの女子生徒が、前年の教科担任に苦情を言ったそうである。
1時間に和歌2つしか進まない。。。
受験に向けての不安を訴えたそうである。

1時間に和歌2つしか進まないというのが、どの授業をさしているのかは
すぐにわかった。
万葉集の、額田王と大海人皇子の「相聞歌」である。
  茜さす 紫野行き 標野行き、、、
  紫の にほへる妹を 憎くあらば、、、
これは、教材としてもっともおもしろいもののひとつなのだ。
音楽的(韻律的)なおもしろさや、文法的なおもしろさだけだはない。
歴史的背景を踏まえて、恋歌と読んでもおもしろいし、
儀礼的な戯れと読んでもおもしろい。
1時間でまとめてしまうのも惜しいほどの教材なのだ。

あのころは本当によくいろんな話をした。
哲学史や当時の社会問題についても、教材と関連して熱弁した。
生徒たちとは、概して良好な関係にあったと思う。
標本質に陣取った私の机のそばに、業後勉強しに来る生徒もいた。

相変わらず不満を他の教員にもらしていたのが、
愛教大を志望する2人のあの女子生徒たちだったようだ。
私は、受験に必要なことをあまり教えてくれないという汚名を負ったのだ。
彼女らは、こんな教科担任にめぐり会ったにもかかわらず、
結局は志望校に合格し入学した。
愛教大といえば。将来小・中学校の教員をめざす者が行く大学である。
私は、彼女らの野望の邪魔にならなかったこtにほっとしたけれど、
祝福する気にはなれなかった。
こんな偏狭な学習観を持ったやつに教員になって欲しくはないものだ。


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