世界史等未履修問題で、文科省の出している救済策が、 補充授業の上限は70時間とする、というもの。。。 つまり、教育課程表の上で、3単位ないし4単位世界史をやるとなっていて 実は日本史など別科目をやっていたところへの救済策に過ぎない。 上限70時間って、今から授業時間以外に70時間も余分にやるのは、 生徒たちにとってたいへんどころの騒ぎではない。 生徒に罰を与えているようなものだ。
これはもう、責任は社会科の教員にあるのであって、生徒には責任はない。 生徒に落とし前をつけさせるのは筋違いである。 だから、今から授業を再編成して今年限りの策を講ずるべきだろう。 ところが、文科省も教育委員会も石頭の集まるお役所なので、 指導要領の規定をないがしろにしては沽券に関わるというわけなのだろう。
しかし、指導要領だって、実にいいかげんなものだ。 世界史は必修、日本史は選択、という規定も根拠薄弱だ。 国語科の私には、国語総合という科目の意義が未だにわからない。 検定合格した国語総合の教科書をいくつも見ているとますますわからない。 この点についてはまた後日の問題になるが。。。 一時導入された必修クラブや生活科は消え、 代わりに「総合的学習」なるものが導入されたが、 これの趣旨は、嘗て教育政策上徹底的に潰しまくった生徒会活動、 つまり自治活動を維持して行われなければならなかったものだ。 自治活動は管理教育の敵だと、お役所思考のお歴々が潰して、 徹底的に管理する教育をめざしたら、学校は荒れる一方だわ、 他方おとなしく物言わぬ子どもが増えて静かにはなるものの、 思考力や自主性はは減退する一方なので、慌てて導入したに過ぎない。 だから、彼らは絶対的規範のつもりで押しつけているかも知れないが、 どちらかというと浅はかな、規範と言えるほどの重みのないものである。
だから、今年だけの特例で何とかして欲しいものである。 授業時間内の科目の再編で対処できるように。。。 すでに卒業した生徒については不問となることだし、 (厳密論から言うなら、それこそ本当におかしなことだ。 実際にはもうどうにもできないので不問にするだけのことだ) 大切なのは、来年以降そういうミスがなくなることなのだから。。。
それにしても、なぜ社会科の教員が、世界史を教えずに済ませるとか、 日本史を教えずに済ませるとかいうことに平気でいられるのだろうか。 嘗て、社会科ではない私でも、それには黙っていられずによく意見をした。 結局は受験への対応のためなのだが、 受験を教育の中心的な目標にするというのは実は恐ろしいことなのだ。 しかし、教育行政は、それを奨励しそれに拍車をかけるよう働いてきた。 根本的な問題はそこにあるのだ。
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