TENSEI塵語

2006年11月02日(木) 映画「博士の愛した数式」を見た

きょうもくったくたで帰った。
1時間目が授業、2時間目は雑用片づけるのに追われ、3、4時間目が授業、
5、6時間目は救急講習会の監督で体育館で立ちっぱなし、
その合間に非常勤講師に渡すプリントの用意に職員室に戻ったら、
視聴覚室のテレビが映らないと訴える人がいて、4階に走り、、、
業後は学年会議、その後指定校推薦を受ける生徒の面接練習指導。。。
6時過ぎまでフル活動である。
明日も明後日も休みでなく、吹奏楽祭の仕事である。
ずっと休日を潰している者には情状酌量があってもいいものだと思うが、
残念ながら、そういうことは不問にして、これについてはこの立場で、
あれについてはあの立場で、何もかも平等に分配される。
酷な世界だなぁと思うけれど、何ともしょうがない。
さらに、日曜日は、仕事ではないけれど、市吹の出番がある。
もういい加減疲れているが、3連休は少しもゆっくりできないし、
来週の土曜日も仕事が入っている。

いつ安らげるのだろうと思ったりしたものだったが。。。

今夜ありがたい思いがしたのは、明日を憂う必要がなかったことである。
明日は、吹奏楽祭の会場に行って、その場で必要な仕事をすればいい。
準備することも考えておくことも何もない。
とりあえず、今夜は何も心配せずのんびり好きなことができる。
こんな夜はめったにない。

それなら何か映画を見ようと、買ったけれどまだ見ていないDVDを眺め、
取り出したのが「博士の愛した数式」だった。
原作がたいへん気に入ったので買っておいたのだが、
実は、見るのがちょっと億劫な感じでそのままになっていたのだ。
原作からしてかなり静かな情緒をたたえた作品である。
冗漫でまだるっこい、途中でため息をつきたくなるような映画ではないかと。

しかし、とてもいい映画だった。
美しい映像のおかげで、原作の小説よりも詩情が漂っていたと思う。
ラストもよかったなぁ。。。
じんわりとエンディングに涙ぐませてくれる映画だった。
最近の積もり積もった疲労と鬱憤を忘れた。
1日休みをもらって漫然と過ごしても、これほどの安らぎは得られまい。

映画は、ルート少年が成長して数学の教師となっていて、
そのルート先生の1年間の最初の授業として展開する。
なぜ自分はルートと呼ばれ、数学の教師になったか、
その説明として博士と過ごした時間を語る、という回想的な構成である。
折々に回想から現代に戻ってその授業風景が映される。
回想部分の博士の教える数学を説明し直すのだが、
このルート先生の数学の授業にも引き込まれてしまった。

いい時間が過ごせたなぁ、、という思いは、疲労からも被害妄想からも
解放してくれる。
さぁ、明日からまた頑張るぞ、という思いにしてくれる。
そうして、この原作も映画も、また数学の勉強をしたいな、
という思いにさせてくれる。(結局、そんな余裕はないんだけどね、、)


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