TENSEI塵語

2006年10月26日(木) 世界史と日本史

教育課程が今の新課程になってから、地歴科では世界史が必修、
日本史・地理のうち1科目選択となったのに、
そのうち1科目しか受けさせていない学校、世界史を受けさせていない学校
のことが問題となり大騒ぎである。

それにしても、世界史が必修で日本史は受けなくてもよいというのは
なぜなのだろうか?
私は旧課程のころから、世界史か日本史かで選択させているのに反対だった。
受験競争はどうあれ、両方しっかり教えなければいけない。
しかし、教師がそう考えても、実際のところ、
生徒は受験科目でない科目はやりたがらないし、
生徒の親も、受験科目に力を入れて教えて欲しがっている、、
そういう世間のニーズの前では、理想論は潰されざるをえなかった。

もちろん、私の高校時代は、1年生の時に私の大の苦手科目の地理、
2年生の時に、世界史と倫理社会、3年生で世界史・日本史・政治経済。
理科も、文系でも生物・化学・物理・地学を受けたし、
多くの実験レポートを書かされた。
そういえば、文系でも数学3まであったなぁ、、今では信じられないことだ。
実力テストや模擬テストなどの受験向けサポートはあったが、
補習もなく、試験前の部活禁止期間などもなく、学校祭は10月後半、、、
うるさいほどの進路指導などもなかった。
要するに、おおらかで、高校らしさが残っていた時代なのである。

残念ながら、私は怠け者の不勉強の代表選手だったので、
世界史の授業で習ったことなど片っ端から忘れてしまった。
だから、現代の国際問題に関連して歴史的背景に及んだりしても、
即座にはっきり理解することがほとんどできない。
そういえばそんなこと聞いたような気がする、とか、
あれ何だったっけなー、、、と記憶の奥の院の錠がなかなか開かない。
しかし、この「何となく聞いた気がする」というのも大事なのだ。
すぐに生かせなくても、仕事の役には立たなくても、
ちょっと何かの拍子に何となく関連付くのが一般教養というものである。
どこでどう役に立つのかわからないのが一般教養なのである。

高校時代は、実のところ、世界史も日本史もおもしろくなかった。
別世界の話を聞き、用語を覚えろと強要させられているだけの気がした。
受験生になることを決めて、自分で日本史の受験勉強を始め、
かなり細かいノートを作り、片っ端から覚えたのだが、
そうして勉強しているうちに、日本史がつまらなかったのは、
淡々とした通史だったからではないかと思うようになった。

教員になってから、私はしばしば社会科の教員に提案した。
日本史は、戦後史から、あるいは昭和史から、あるいは、
大いに譲歩して明治時代から、せめて江戸時代あたりから始めたらどうかと。
今生きている社会をより理解するための日本史であって欲しいと思ったのだ。
そして、そこから順次遡って行くのだ。
また世界史だったら、市民革命直前あたりから始めるか、
あるいは、現在の国際関係のさまざまな実態から始めて、
そのテーマ別に、そういう問題の根深い歴史を語ったらどうかと。。。
歴史は現代に息づいている、と社会科教員なら私以上に信念をもっている
だろうから、私が言うまでもなくそうしたがっているだろうと思っていた。
しかし、そういう考えはまったく受け入れられなかった。
第一、そういう教科書はまったく作られていないし、
そんな順序で教えたら、模擬テストにまったく対応できない、
模擬テストは古代から順々に出題されるのだから。。。

高等学校の学習内容が、受験対策に支配されるなんて悲しいことだと思う。
大衆の愚の恐ろしさを感じるのは、選挙の時ばかりではないのだ。


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