妻が勤める小学校にもAETが来て、英語の授業を行うそうだ。 今年は特に家でそのAETの話題が出るのだが、 彼はドラムを叩くのが好きで、日本でもレッスンに通っていて、 英語の教員として雇われて来ているのに、 時間外にも喜々として金管バンドの子どもたちに教えてくれるそうである。 職員室でのようすは控えめでシャイな感じなのに、 授業では大きなアクションで子どもたちに英語を教えていると言う。
そのAETが週に何回来るのか尋ねたら、何と2週間に1回だと言う。 来ない週は担任が先週の復習をすることになっているとか。。。
ちょ、ちょっと待ってね、、、週1回で、しかも2回に1回は 私と比べてもはるかに英語を知らない妻が教えるわけ、、??
だから、いまだに「How are you?」の問いにもちゃんと答えられない、 AETが毎回頭抱えている、と妻は笑っている。
何という安上がりな語学教育であろうか。 こういう策を持ち込んだ我々の上層部でもある官僚たちは、 「やっております。進んでおりますでしょ?」 と悦に入っているのだろうが、現場からすれば迷惑な時間のむだである。 中途半端なことはやらぬ方がいいが、これは中途半端以下である。
私が英語の早期教育を反対するのは、どうせケチケチ教育財政だからである。 中学校でさえ、一斉授業の大人数でやっている。 しかも週3回きりだという。 授業中どれだけ発音する機会があるのだろうか?
私は日本の英語教育の根本的な誤謬は、文章主義の一斉授業だと思う。 少なくとも中学までは、最高8人くらいの少人数で、 会話中心の英語教育をするべきだった。 語学なんて、わけがわかってもわからなくても、 とにかく発音して、とにかく「こう言うもんだ」でいいのである。 理屈などは後でいいのである。 実際、我々は日本語をそうして習得してきたのである。
私のこういう考え方は、英語の先生たちにも極論だと思う人がいるらしい。 しかし、私がこう考えるようになったのは、 大学時代、上智のフランス語教育を受けてからである。 文法の講義など後回しで、とにかく絵を見ながらテープを何度も聞いて 覚えて来いと言う。 実に酷な宿題を毎週出されて四苦八苦した。 とにかく、よくわからなくても何度も口まねしておいて会話の授業に出る。 そうして、どんどん質問されるうちに、謎が解明されるのである。 それから文字化された文章を読んだり、文法を教わったり。。。
この続きは明日書こう。
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