TENSEI塵語

2006年08月14日(月) 「クラッシュ」

きょうは午前中は2時間半にも及ぶ大買い物、
午後は3時間近くもかけて2カ月ぶりのトイレ掃除と風呂場の掃除。
風呂掃除を終えたころは朦朧としていたが、何か楽しい気分だった。

その時ニュースでちらっと見たが、今朝、首都圏は大停電の朝だったそうだ。
何か、見たこともないような変わった形の作業船が、
船を停めるためのおもりを降ろそうとクレーンを上げたら、
そこに送電線があって大停電となったそうである。
ニュースでは駅を中心にその大停電の影響を報告していたが、
こういう報道には引っかからないさまざまなドラマが、
実際にはさまざまな個人の周りに起こっていたんだろうな、と、
一昨日見た「大停電の夜」を思い起こしていた。

さて、そんなことも思ったせいか、今夜は、
見ないままたまっているDVDの中で、「クラッシュ」に目がとまった。
昨年度のアカデミー作品賞、脚本賞、編集賞。
「全世界が震えた、衝撃と感動のヒューマン・ドラマ」という宣伝文句。
これだけで、興味をそそるに十分な宣伝であるが、
「大停電の夜」に触発された興味は、これが群像劇であり、
1件の自動車事故から、さまざまな悲劇の連鎖が描かれ、
やがて、「悲劇を乗り越えた先に見る、小さな光」が描かれるらしいこと。
そんなわけで、今夜は「クラッシュ」を見始めたのだった。

それは、私にとっては、実に虚しい、無駄な2時間だった。
ほとんど意味不明の会話の連続だった。
最初の30分を過ぎたころ、この塵語での感想を、
「最初の30分はまったく意味不明で退屈この上なかった」と書くつもりで
しかし、後半の展開に期待していた。

ちょっと良かった場面がなかったわけではない。
前夜にセクハラ的取り調べをした巡査が、その女の事故現場に遭遇し、
女に拒絶されながらも命がけで救出する場面。
ペルシャ人の店主が、鍵の修理人を恨み、疑って、拳銃を向けると、
妖精の衣を着たと信じたその娘が父をかばい、撃たれても死ななかった話。
しかし、この映画の大半のセリフは理不尽な発言の連続なのだ。
彼らはいったい何を怒っているのかさっぱりわからない。
大半が、意味不明で動機も不明な会話の応酬のように思われるのだ。

晦渋なる映画を好む評論家たちは言うだろう。
「この映画は現代アメリカをよく表現している」
「この映画は人種差別の現実をよく描いている」
「この映画はそんな現実を、日常にありがちなレベルで無理なく描いている」
しかし、私にはほとんどの会話とその心理が意味不明だ。

数年前に見た「アメリカン・ビューティー」と同じく、
アカデミー賞の選考を大いに疑う作品の代表になってしまった。
イライラさせるばかりの作品に過大評価するな、と言いたくなるのである。


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