きょうは午前中は2時間半にも及ぶ大買い物、 午後は3時間近くもかけて2カ月ぶりのトイレ掃除と風呂場の掃除。 風呂掃除を終えたころは朦朧としていたが、何か楽しい気分だった。
その時ニュースでちらっと見たが、今朝、首都圏は大停電の朝だったそうだ。 何か、見たこともないような変わった形の作業船が、 船を停めるためのおもりを降ろそうとクレーンを上げたら、 そこに送電線があって大停電となったそうである。 ニュースでは駅を中心にその大停電の影響を報告していたが、 こういう報道には引っかからないさまざまなドラマが、 実際にはさまざまな個人の周りに起こっていたんだろうな、と、 一昨日見た「大停電の夜」を思い起こしていた。
さて、そんなことも思ったせいか、今夜は、 見ないままたまっているDVDの中で、「クラッシュ」に目がとまった。 昨年度のアカデミー作品賞、脚本賞、編集賞。 「全世界が震えた、衝撃と感動のヒューマン・ドラマ」という宣伝文句。 これだけで、興味をそそるに十分な宣伝であるが、 「大停電の夜」に触発された興味は、これが群像劇であり、 1件の自動車事故から、さまざまな悲劇の連鎖が描かれ、 やがて、「悲劇を乗り越えた先に見る、小さな光」が描かれるらしいこと。 そんなわけで、今夜は「クラッシュ」を見始めたのだった。
それは、私にとっては、実に虚しい、無駄な2時間だった。 ほとんど意味不明の会話の連続だった。 最初の30分を過ぎたころ、この塵語での感想を、 「最初の30分はまったく意味不明で退屈この上なかった」と書くつもりで しかし、後半の展開に期待していた。
ちょっと良かった場面がなかったわけではない。 前夜にセクハラ的取り調べをした巡査が、その女の事故現場に遭遇し、 女に拒絶されながらも命がけで救出する場面。 ペルシャ人の店主が、鍵の修理人を恨み、疑って、拳銃を向けると、 妖精の衣を着たと信じたその娘が父をかばい、撃たれても死ななかった話。 しかし、この映画の大半のセリフは理不尽な発言の連続なのだ。 彼らはいったい何を怒っているのかさっぱりわからない。 大半が、意味不明で動機も不明な会話の応酬のように思われるのだ。
晦渋なる映画を好む評論家たちは言うだろう。 「この映画は現代アメリカをよく表現している」 「この映画は人種差別の現実をよく描いている」 「この映画はそんな現実を、日常にありがちなレベルで無理なく描いている」 しかし、私にはほとんどの会話とその心理が意味不明だ。
数年前に見た「アメリカン・ビューティー」と同じく、 アカデミー賞の選考を大いに疑う作品の代表になってしまった。 イライラさせるばかりの作品に過大評価するな、と言いたくなるのである。
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