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2007年06月12日(火) 秋水と啄木・他 (高橋源一郎『日本文学盛衰史』より)

たかはし げんいちろう (高橋源一郎)公式サイト
http://www.funk.ne.jp/~gen1rou/index.html/
『日本文学盛衰史』より

第13回伊藤整文学賞?受賞(2002)
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目次
死んだ男 (
ローマ字日記 (石川啄木
ローマ字日記・続
若い詩人たちの肖像 (島崎藤村
若い詩人たちの肖像・続
若い詩人たちの肖像・続々
A LETTER FROM PRISON (石川啄木
A LETTER FROM PRISON・続
……


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時代閉塞の現状(啄木)

数日前本欄に出た「自己主張の思想としての自然主義」と題する魚住氏の論文は、今日における我々日本の青年の思索的生活の半面――閑却されている半面を比較的明瞭に指摘した点において、注意に値するものであった。けだし我々がいちがいに自然主義という名の下に呼んできたところの思潮には、最初からしていくたの矛盾が雑然として混在していたにかかわらず、今日までまだ何らの厳密なる検覈がそれに対して加えられずにいるのである。・・・

性急(せっかち)な思想(啄木)

最近数年間の文壇及び思想界の動乱は、それにたずさわった多くの人々の心を、著るしく性急(せっかち)にした。意地の悪い言い方をすれば、今日新聞や雑誌の上でよく見受ける「近代的」という言葉の意味は、「性急(せっかち)なる」という事に過ぎないとも言える。同じ見方から、「我々近代人は」というのを「我々性急(せっかち)な者共は」と解した方がその人の言わんとするところの内容を比較的正確にかつ容易に享入(うけい)れ得る場合が少くない。・・・

(以上は青空文庫にアリ)

A LETTER FROM PRISON (啄木)

島崎 藤村
(青空文庫にアリ)


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秋水と啄木†
啄木はすでに天才詩人として知られていた。だが、彼が書きたかったのは小説だった。・・・啄木は相変わらず無収入で、下宿代は金田一が払っていた。・・・金田一は、神田の松村書店に国語学とアイヌの文献を除く蔵書の大半を売り払って・・・四〇円になった。その日、鴎外邸へ出かけていた啄木は帰宅しなかった。・・・翌朝・・・金田一は啄木のために、もう一間安いのはないかと尋ねた。・・・その部屋からは九段の鳥居、靖国神社の森、そして富士山が見えた・・・

(『日本文学盛衰史』ローマ字日記 より抜粋)


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(明治四四年一月)五日、啄木は幸徳の陳情書を写し終えた・・・
一八日、「大逆事件」に判決が下った。・・・
二〇日、・・・啄木は「大逆事件」の記録をひとりで整理していた。・・・
二一日、啄木は前日と同様「大逆事件」関係の記録を整理して過ごした。
二二日、啄木は・・・やはり記録整理に時を費やした。
二三日、啄木は日中、事件の整理をし、写した幸徳秋水の手紙を読んで過ごした。・・・
翌二四日は・・・八時過ぎ、秋水は目隠しをされて絞首台を登った。数え年四一歳であった。・・・
二六日。社からの帰り、やはり啄木は平出修の家を訪ねた。そして、特別裁判一件の書類を読んだ。全七千枚、一七冊。・・・
この後、啄木は二月四日に青山内科病院に入院、ついに病の床から回復することなく翌年の四月に亡くなるのである。深夜、帰宅した啄木は、また秋水たちの手紙を写しはじめた。・・・不意に、啄木は書き写した手紙の一群に表紙とタイトルをつけようと思いついた。少し考えてから、啄木は「A LETTER FROM PRISON 」とタイトルをつけた。そして、写し終えたらこれを・・・漱石に見せようと思った。・・・

(『日本文学盛衰史』A LETTER FROM PRISON より抜粋)






藤村と破戒
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・・・明治最大の抒情詩人、島崎藤村が詩を捨てたというニュースは一夜のうちに文壇を駆けめぐり・・・明治三七年に書きはじめられた藤村のその小説は「破戒」という題名であった。・・・藤村は借家に自費で付け足した三畳のトタン屋根の書斎でひたすら「破戒」を書き続けた。藤村には「破戒」が持っている、いや持つであろう意味の大きさがわかっていた。・・・

明治三八年一一月二七日夜七時、「破戒」はついに完成した。・・・その中で藤村は三人の子供を失った。・・・漱石は机の上に「坊ちゃん」の完成稿を残したまま日本橋丸善まで本を買いに出かけた。・・・漱石はむさぼるように読んだ。・・・

「破戒読了。明治の小説として後世に伝ふべき名篇也。金色夜叉の如きは二三十年の後は忘れられて然るべきものなり。破戒は然らず。僕多く小説読まず。然し明治の代に小説らしき小説が出たとすれば破戒ならんと思ふ」
それは「破戒」に関するもっとも早く、そしてもっとも正確な批評であった。漱石には「破戒」が明治文学の中でどれほど孤絶した位置にあるか、その価値がどれほどのものであるかはっきりわかっていた。漱石もまた「破戒」と並ぶ明治文学の頂点の一つを書き上げたばかりであった。そして、表面上の違いにもかかわらず「破戒」と「坊ちゃん」はひどく 似通っていたのである。

(『日本文学盛衰史』若い詩人たちの肖像 より抜粋)






秦恒平 講演録

・・・ただ藤村には、死と死骸とをめぐる久しく久しい歴史上の役割分担、その社会的・階層的な世襲の強要、信仰と芸能との不可分であった伝統、まれ人として漂泊した芸能人たちの祝言芸の根のところへは、認識は殆ど及んでいません。・・・

幸徳秋水と「橋のない川」(住井すゑ)


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「『破戒』のモデル大江礒吉の生涯」
(荒木謙著 解放出版社刊)




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