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2007年06月11日(月) A LETTER FROM PRISON (啄木)��


'V NAROD' SERIES

A LETTER FROM PRISON
(啄木)
この一篇の文章は、幸徳秋水等二六名の無政府主義者に関する特別裁判の公判進行中、事件の性質及びそれに対する自己の見解を弁明せんがために、明治四三年一二月一八日、幸徳がその担当弁護人たる磯部四郎、花井卓蔵、今村力三郎の三氏に獄中から寄せたものである。
 
 初めから終りまで全く秘密の裡に審理され、さうして遂に予期の如き(予期!然り。帝国外務省さへ既に判決以前に於いて、彼等の有罪を予断したる言辞を含む裁判手続説明書を、在外外交家及び国内外字新聞社に配布していたのである)判決を下されたかの事件---あらゆる意味に於いて重大なる事件---の真相を暗示するものは、今や実にただこの零 なる一篇の陳弁書あるのみである。
 
 これの最初の写しは、彼が寒気骨に徹する監房にこれを書いてから一八日目、即ち彼にとって獄中に迎へた最初の新年、さうしてその生涯の最後の新年であった明治四四年一月四日の夜、或る便宜の下に予自らひそかに写し取って置いたものである。予はその夜の感想を長く忘れることが出来ない。ペンを走らせていると、遠く何処からか歌歌留多の読声が聞こえた。それを打消す若い女の笑声も聞こえた。さうしてそれは予がこれを写し終った後までもまだ聞こえていた。予は遂に彼が嘗て---七年前---「かるたの娯楽」と題する一文を週間平民新聞の新年号に揚げてあったことまでも思ひ出させられた。西川光二郎君---恰(あたか)もその同じ新年号のしかも同じ頁に入社の辞を書いた---から借りて来ていた平民新聞の綴込を開くと、文章は次の言葉を以って結ばれていた。『歌がるたを楽しめる少女よ。我も亦幼時甚だ之を好みて、兄に侍し、姉に従ひて、食と眠りを忘れしこと屡(しばしば)なりき。今や楽しみなし。嗚呼老いけるかな。顧みて憮然之を久しくす』

 しかし彼は老いなかったのである。然り。彼は遂に老いなかったのである。

 文中の句読は謄写の際に予の勝手に施したもの、又或る数箇所に於いて、一見明白なる書違ひ及び仮名づかひは之を正して置いた。

明治四四年五月
H,I,

 


  直接行動の意義

 私はまた今回の検事局及び 審廷の調べに於いて、直接行動てふことが、矢張暴力革命とか、爆弾を用うる暴挙とかいふことと殆ど同義に解せられている観があるのに驚きました。
 直接行動は英語のジレクト・アクションを訳したもので、欧米で一般に労働運動に用うる言葉です。労働組合の職工の中には無政府党もあり、忠君愛国論者もあるので、別に無政府主義者の専有の言葉ではありません。そしてその意味するところは、労働組合全体の利益を増進するのには、議会に御頼み申しても埒が明かぬ、労働者のことは労働者自身で運動せねばならぬ。議員を介する間接運動でなくして、労働者自身が直接に運動しよう、すなわち総代を出さないで自分らで押し出そうというに過ぎないのです。いま少し具体的に言えば、工場の設備を完全にするにも、労働時間を制限するにも、議会に頼んで工場法をこしらえて貰うよりも、直接に工場主に談判する、聞かなければ同盟罷工をやるというので、多くは同盟罷工のことに使われているようです。あるいは非常に不景気、恐慌で餓孚途に横わるというような時には、富豪の家に押入って食品を収用するもよいと論ずる者もある。収用もまた直接行動の一といえぬではない。また革命の際において、議会の決議や協定を待たなくても、労働組合ですべてをやってゆけばよいという論者もある。これも直接行動ともいえるのです。
 しかし、今日直接行動説を賛成したといっても、すべての直接行動、議会を経ざる何事でも賛成したということは言えませぬ。議会を経ないことなら、暴動でも、殺人でも、泥棒でも、詐偽でもみな直接行動ではないかという筆法で論ぜられては間違います。議会は欧米いたるところ腐敗している。中には善良な議員がないでもないが、少数でその説は行われぬ。ゆえに議院をアテにしないで直接行動をやるというので、直接行動なら何でもやるというのではありません。同じく議会を見限って直接行動を賛する人でも、甲は小作人同盟で小作料を値切ることのみやり、乙は職工の同盟罷工のみを賛するというように、その人とその場合とによって目的、手段、方法を異にするのです。ゆえに直接行動をただちに暴力革命なりと解し、直接行動論者たりしということを今回の事件の有力な一原因に加えるのは理由なきことです。






   欧州と日本の政策

 今回の事件の真相と其動機とが何処に在るかはしばらく措き、以上述ぶるが如く、無政府主義の 道は暴力の 道ではありません。欧米でも同主義に対しては甚だしき誤解を抱いています。あるいは知ってことさらに曲解し、ざん誣、中傷していますが、しかし日本や露国のように乱暴な迫害を加え、同主義の自由、権利をすべて剥奪、蹂躙して、その生活の自由まで奪うようなことはまだありません。欧州の各文明国では無政府主義の新聞、雑誌は自由に発行され、その集会は自由に催されています。仏国などには同主義の週刊新聞が七、八種もあり、英国のごとき君主国、日本の同盟国でも、英文や露文やユダヤ語のが発行されています。そしてクロポトキンはロンドンにいて自由にその著述を公にし、現に昨年出した『露国の惨状』の一書は、英国議会の「露国事件調査委員会」から出版いたしました。私の訳した『パンの略取』のごときも、仏語の原書で、英、独、露、伊、西等の諸国語に翻訳され、世界的名著として重んぜられているので、これを乱暴に禁止したのは、文明国中日本と露国のみなのです。
 なるほど、無政府主義は危険だから、同盟して鎮圧しようということを申し出した国もあり、日本にもその交渉があったように聞きましたが、しかし、この提議をするのは大概ドイツとか、イタリアとか、スペインとかで、まず乱暴迫害を無政府主義者に加え、彼らの中に激昂の極多少の乱暴する者あるや、ただちにこれを口実として鎮圧策を講ずるのです。そしてこの列国同盟の鎮圧条約は、しばしば提議されましたが、かつて成立したことはありません。いくら腐敗した世の中でも、とにかく文明の皮を被っている以上、そう人間の思想の自由を蹂躙することはできないはずです。とくに申しますが、日本の同盟国たる英国はいつもこの提議に反対するのです。




   一揆暴動と革命

 単に主権者を更送することを革命と名くる東洋流の思想から推して、強大なる武力、兵刀さへれば何時でも革命を起こし、若しくは成し得るやうに考へ、革命家の一揆暴動なれば総て暴力革命と名くべきものかと察せられます。併し私共の用うる革命てふ語の意義は前申上ぐる通りで、又一揆暴動は文字の如く一揆暴動で、此点は区別しなければなりません。直接行動は英語のジレクト・アクションを訳したもので、欧米で一般に労働運動に用うる言葉です。労働組合の職工の中には無政府党もあり、忠君愛国論者もあるので、別に無政府主義者の専有の言葉ではありません。そしてその意味するところは、労働組合全体の利益を増進するのには、議会に御頼み申しても埒が明かぬ、労働者のことは労働者自身で運動せねばならぬ。議員を介する間接運動でなくして、労働者自身が直接に運動しよう、すなわち総代を出さないで自分らで押し出そうというに過ぎないのです。いま少し具体的に言えば、工場の設備を完全にするにも、労働時間を制限するにも、議会に頼んで工場法をこしらえて貰うよりも、直接に工場主に談判する、聞かなければ同盟罷工をやるというので、多くは同盟罷工のことに使われているようです。あるいは非常に不景気、恐慌で餓孚途に横わるというような時には、富豪の家に押入って食品を収用するもよいと論ずる者もある。収用もまた直接行動の一といえぬではない。また革命の際において、議会の決議や協定を待たなくても、労働組合ですべてをやってゆけばよいという論者もある。これも直接行動ともいえるのです。
 しかし、今日直接行動説を賛成したといっても、すべての直接行動、議会を経ざる何事でも賛成したということは言えませぬ。議会を経ないことなら、暴動でも、殺人でも、泥棒でも、詐偽でもみな直接行動ではないかという筆法で論ぜられては間違います。議会は欧米いたるところ腐敗している。中には善良な議員がないでもないが、少数でその説は行われぬ。ゆえに議院をアテにしないで直接行動をやるというので、直接行動なら何でもやるというのではありません。同じく議会を見限って直接行動を賛する人でも、甲は小作人同盟で小作料を値切ることのみやり、乙は職工の同盟罷工のみを賛するというように、その人とその場合とによって目的、手段、方法を異にするのです。ゆえに直接行動をただちに暴力革命なりと解し、直接行動論者たりしということを今回の事件の有力な一原因に加えるのは理由なきことです。





   聞取所及調書の杜撰

 私共無政府主義者は、平生今の法律裁判てふ制度が完全に人間を審判し得るとは信じないのでしたけれど、今回実地を見聞して更に危険を感じました。私は唯だ自己の運命に満足する考へですから、此点に就いて最早呶々(どど)したくはありませんが、唯だ多数被告の利害に大なる関係があるやうですから、一応申上げたいと思ひます。第一、検事の聴取書なるものは、何と書いてあるか知れたものではありません。私は数十回検事の調べに会いましたが、初め二、三回は聴取書を読み聞かされましたけれど、その後は一切その場で聴取書を作ることもなければ、したがって読み聞かせるなどということもありません。その後予審廷においてときどき、検事の聴取書にはこう書いてあると言われたのを聞くと、ほとんど私の申立と違わぬはないのです。たいてい、検事がこうであろうといった言葉が、私の申立として記されてあるのです。多数の被告についてもみな同様であったろうと思います。そのときにおいて予審判事は聴取書と被告の申立と、いずれに重きを置くでしょうか。実に危険ではありませんか。
 また検事の調べ方についても、常にいわゆる「カマ」をかけるのと、議論で強いることが多いので、このカマを看破する力と、検事と議論を上下し得るだけの口弁を有するにあらざる以上は、たいてい検事の指示するとおりの申立をすることになると思われます。私はこの点について一々例証を挙げ得ますけれど、クダクダしいから申しません。ただ私の例をもって推すに、他のかかる場所になれない地方の青年などに対しては、ことにヒドかったろうと思われます。石巻良夫が、「愚童より宮下の計画を聞けり」との申立をなしたということのごときも、私も当時聞きまして、また愚童をおとしいれんがために奸策を設けたなと思いました。宮下が爆弾製造のことは、愚童、石巻の会見よりはるか後のことですから、そんな談話のあるはずがありません。このことのごときはあまりに明白ですぐ分りますけれど、巧みな「カマ」には何人もかかります。そして「アノ人がそう言えば、ソンナ話があったかも知れません」くらいの申立をすれば、すぐ「ソンナ話がありました」と確言したように記載されて、これがまた他の被告に対する責道具となるようです。こんな次第で、私は検事の聴取書なるものは、ほとんど検事の曲筆舞文、牽強付会ででき上がっているだろうと察します。一読しなければ分りませんが。
 私は予審判事の公平、周到なることを信じます。他の予審判事は知らず、少なくとも私が調べられました潮判事が公平、周到を期せられたことは明白で、私は判事の御調べにほとんど満足しています。
 けれど、いかに判事その人が公平、周到でも、今日の方法制度では完全な調書のできるはずはありません。第一、調書は速記でなく、一通り被告の陳述を聞いたあとで、判事の考えでこれを取捨して問答の文章を作るのですから、申立の大部分が脱することもあれば、言わない言葉が挿入されることもあります。ゆえに被告の言葉を直接聞いた予審判事には被告の心持がよく分っていても、調書の文字となって他人が見れば、その文字次第で大分解釈が違うてまいります。
 第二は、調書訂正の困難です。できた調書を書記が読み聞かせますけれども、長い調べで少しでも頭脳が疲労していれば、早口に読み行く言葉を聞き損じないだけがヤットのことで、少し違ったようだと思っても、咄嗟の間に判断がつきません。それを考えるうちに読声はドンドン進んで行く。何を読まれたか分らずにしまう。そんな次第で数か所十数か所の誤りがあっても、指摘して訂正し得るのは一か所くらいに過ぎないのです。それも文字のない者などは適当な文字が見つからぬ。「こう書いても同じではないか」と言われれば、争うことのできぬのが多かろうと思います。私なども一々添削するわけにもゆかず、大概ならと思ってそのままにした場合が多かったのです。
 第三には、私初め予審の調べに会ったことのない者は、予審は大体の下調べだと思って、さほど重要と感じない。ことに調書の一字、一句がほとんど法律条項の文字のように確定してしまうものと思わないで、いずれ公判があるのだからそのとき訂正すればよいくらいで、強いて争わずに捨ておくのが多いと思います。これは大きな誤りで、今日になって見れば、予審調書の文字ほど大切なものはないのですけれど、法律裁判のことにまったく素人なる多数の被告は、そう考えたろうと察します。こんな次第で予審調書もはなはだ杜撰なものができ上がっています。私は多少文字のことに慣れていてずいぶん訂正もさせました。けれど、それすら多少疲れているときは面倒になって、いずれ公判があるからというのでそのままにいたしたのです。いわんや多数の被告をやです。
 聴取書、調書を杜撰にしたということは、制度のためのみでなく、私どものかかることに無経験なるより生じた不注意の結果でもあるので、私自身は今に至ってその訂正を求めるとか、誤謬を申し立てるとかいうことはいたしませんが、どうかかの気の毒な多数の地方青年のために御含み置きを願いたいと存じます。




 以上、私の申上げて御参考に供したい考への大体です。何分連日の公判で頭脳が疲れている為に、思想が順序よく纏まりません。加ふるに、火のない室で、指先が凍ってしまひ、是まで書く中に筆を三度取落とした位ですから、唯だ冗長になるばかりで、文章も拙く、書体も乱れて、さぞ御読みづらいことでありませう。どうか御諒恕を願ひます。

 兎に角右述べました中に、多少の取るべきあらば、更に之を判官、検事諸公の耳目に達したいと存じます。

 
 明治四三年一二月一八日午後
  
    東京監獄監房にて
                                      幸徳傳次郎
 


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