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2007年06月01日(金) 一九六五年六月一日における三井山野炭鉱ガス爆発大惨事

*ニッチツに二審も賠償命令−秩父じん肺訴訟(2001-10-26)
「・・・係争中の北海道石炭じん肺訴訟や三井三池訴訟にも影響を与えるだろう・・・」



六月一日
書籍名 写真万葉録筑豊7
副題 六月一日
著者 (監修)上野英信・趙根在
出版社 葦書房
ジャンル 写真集
発行日 1985.10.5


 批評家で作家の大西巨人氏が、『穴掘りモグラ』(朝日ジャーナル誌一九八六年二月十四十日号、『巨人の未来風考察』朝日新聞社一九八七年三月三十日刊所収)で一九六五年六月一日における三井山野炭鉱ガス爆発大惨事(死者二百三十七人)のことについて触れておられます。

 「穴掘りモグラ」は氏の長編小説『神聖喜劇』の中で、大前田軍曹が鉢田新兵(古河上山田炭鉱坑内夫)に対してあざけりの言葉として使用したものです。それに対し、鉢田新兵が「川筋(遠賀川流域一帯、筑豊炭田)じゃ人殺しはあんまりめずらしゅうもありまっせん。それも人が人を殺すだけじゃのうして、ガス爆発やら出水やら落磐やらなんやらかんやらが、年がら年中バサラカ(おびただしく)人を殺しとります。」とあえて断言する、という場面が出てきます。

 さて、その三井山野炭鉱ガス爆発事件の二年前、一九六三年一月十八日に、福岡県三井三池炭鉱有明坑がガス爆発を起こして八十三名の死者が、前年一九六四年四月二十四日には長崎県の三菱高島炭鉱のガス爆発によって十一名の死者が、続いて五月十七日には北海道の三菱南大夕張炭鉱がガス爆発を起こして死者を六十二名を出すなど、無残な大災害が繰り返されました。



*三井系2社に賠償命令/患者103人に15億円 時効起算点は死亡時認定 三池じん肺で福岡地裁(2001-12-19)

*三井三池炭鉱じん肺訴訟第一審判決 (福岡地裁2003年12月18日判決) 


平成16年4月27日最高裁判所第三小法廷判決・平成13年(受)1760号 判例時報1860号34頁(民集58巻4号登載予定)

http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/99-6/matumoto.htmより

現在の判例の到達点を示すのが、長崎じん肺訴訟最高裁判決である(最判一九九四・二・二二民集四八・二・四四一(11))。
・・・この判決の意義は二つある。ひとつは、退職時説を否定した点である。すなわち、従来の下級審の判決の中には、前述の「債務の同一性の法理」を根拠に、本来の安全配慮義務の履行を請求しうる時、すなわち遅くとも退職時が、安全配慮義務違反を理由とした債務不履行に基づく損害賠償請求権の消滅時効の起算点だとする見解を示すものがあった(13)。しかし、退職時説によれば、退職後、一〇年以上を経てじん肺症が顕在化した場合には、その時点で初めて損害賠償請求権が成立したはずなのに、その賠償請求権が既に時効消滅しているという背理が生ずる。最高裁判決がこのような退職時説を明確に否定したことの意義は大きい。・・・


*原告81人 国と和解 西日本じん肺訴訟(2007/01/23付 西日本新聞朝刊)



 一方で、福岡地裁での「訴訟継続派」に対し行われた三池CO訴訟判決に続いて開延した「家族訴訟」の法廷では、湯地紘一郎裁判長は、三井の過失を認めたものの、「妻の損害」を認めない判決を言い渡しています。

「第三者の不法行為によって身体を侵害された者の配偶者の慰謝料請求は、生命を侵害された場合またはこれに劣らない程度の精神上の苦痛を受けた時に限り認められる。被災原告らの受けた侵害は右の程度に至っているとは言えないから、妻としての慰謝料請求は認められない。」 



*CO裁判のに立ち上がった患者と家族たち
『被告最高裁』(庭山英雄編、共著、技術と人間) 「三井鉱山の罪業---妻たちの叫び」(沢田猛)より(1993年)

松尾薫虹(まつおけいこう)さん

「発作が起こるとですね、うちが主人に馬乗りになって押さえつけておいて、子どもに押入れから布団ば引きずってくるようにいって、二人の子どもと一緒になって、布団ば主人の上にすっぽるかぶせ、“痛い、痛い”といって転げ回る主人から、布団がはがれんように、うちがまた布団の上から馬乗りになって暴れる主人を押さえ込むとです。・・・これが五年半ぐらいは続きました。・・・遺族の人たちにしても、最初は、ほんと寝た切りでも生きててくれさえすれば、・・・もういまは、それがなくなったですねえ・・・」

「三井はこの場で謝罪してください」

「底辺で働く人間に生きていてよかったと思えるような判決を出してください」

「妻の慰謝料が認められず残念の一語に尽きます。炭鉱という職場は特殊な場で、家族の協力なしに労働できない。」

「二〇年闘ってあんな判決ではひどかです。泣き寝入りばしたくなかとですたい。これで原点に立ち返った感じがするとです」

「千葉県に嫁いだ二人の娘は千葉に来るよういうとですたい。しかし私は大牟田生まれの大牟田育ち。ひどか裁判のケリがつくまでは大牟田を去りたくなかです」

「後ろをふりむかんで、前を向いて行くっとです」




*戦後最大の労災 三川鉱爆発 死体搬出後に炭塵落し…会社は人命を軽視 炭鉱事故 現場の証言 作業員の日記 史料集に収録(2007年1月17日掲載)

*三川鉱炭じん爆発事故 初公開文書も収録 「史料集成2期」完成 市立図書館に寄贈 大牟田市
(2007/02/03付 西日本新聞朝刊)

*26人全員を救済 徳島じん肺訴訟、国の責任四たび認定
http://www.topics.or.jp/contents.html?m1=2&m2=3&NB=CORENEWS&GI=Kennai&G=&ns=news_117506503993&v=&vm=1



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