人権牋貽100質
〆よろしければ、相互リンクをお願いします。


2007年05月26日(土) 狭山事件の第三次再審請求に一緒にご支援を(子どもたちの心を踏みにじったままではすませないぞ)


「チャイちゃんとフリートークを」より

狭山事件については、「字が書けないので、警察に言われた通りに書いたらそれは自供文だったそうです。しかし警察は、罪を否認する内容だと嘘を言いました」と習いました。また「警察官にも悪い人がいて、この警察官などは最初から犯人を決めていて、字が知らない、書けないに付け込みこんなひどい事を平気でした」と教えられました。当時の私は、その事をそのまま受け入れました。
 他のいくつかの冤罪事件についてもこの頃知りました。時代背景から察するに、不当逮捕・裁判だったのかもしれませんが、そうでなかったのかもしれません。逮捕者が同和地区出身者であり、本人が「無実」と主張しただけで、物的証拠はないのですよね。また、あっても捏造かもしれません。と、このように疑惑を持つことは、回想すると差別であるという教え方だったと思います。私は以後、この事件に関しては文献等を読んでいません。
 私は「橋のない川」は中学時代に読み、心を惹かれました。その後も後編がでるたびに読みました。作者の死去を悲しく思いました。模索するそれぞれの人物にそれぞれ心乱されました。


ダブルっちBBSより

1159 【Re:狭山事件】


★ 2002/11/14(Thu) 13:36


「石川さんは無実だ!」とかいうゼッケンつけてムラの小学生とかどっさり集まって 小学校まで歩くんです。
闘争の一環・・・だったんでしょうねぇ。効果のほどは不明ですし、やってる本人も意味はようわかってませんでした。小学生でしたし。


さんへ

しばらくネットを離れるということですが、「ダブルっち」のこと忘れないでくださいね。
さて、上記は「狭山事件」をなぜ学習するのかというお話だったと思うのですが
ワタシは大学の部落問題論と、部落研活動の中で「狭山」を知ったのですが、
事件で言われている「疑わしきは被告人の利益に」という証拠重視の精神(理想)と
石川さんの「再審は針の穴をラクダが通るほど難しい」という現実を埋めるには 自分たちは何ができるかをみなで考え、
当時、新証拠と上がっていた「小名木証言」を、自分の大学で教職を取る人や法学部の教員中心に 毎日1人ずつでも説明しにいき 無実の証拠の認知度を高めることだということになり、お互いの空き時間には何とか動けました。
 人に説明するには自分が十分な知識を持っていないとできませんよね。もう大学生なので狭山事件の学習は独学でした。

 T.T.さんから、今の若い人たちの事件の受け止め方について指摘があったように 意味や目的がわかる年齢になったら、「狭山事件」について 地区の大人たちから たとえ教えすぎと感じられるほど詰め込まれた場合であっても、受け止め方は違ってこなければいけないとワタシは思います。
 
 ダブルっちちゃんの通う同和保育所や児童館では、最近は「狭山事件」を扱っていないということなんです。う〜ん、どうしよう・・・。




期間限定 Uさんのひとりごとから転載

11月8日(金) かるい想像は「偏見」を生む
 

・・・部落問題を感覚だけでとらえている。運動団体が悪いとか、制度が悪いとか、「同和」は「同化」すれば差別はなくなるとか、立派な?発言を臆面もなく書き綴っている。
 
確かに「同和対策特別措置法」以後、彼等はそれなりの教育を受ける機会も得られたし、就職差別も極端に減った。社会が門戸を開く状況にあった。それが建前とはいえ、法律がある以上、国も自治体も企業も教育機関も「同和」問題を無視できない時代だったのである。

その中で過ごしてきた人達は無責任な論評を繰り返す事が多い。部落差別に抗してどんな営みがあったか、その歴史性について掘り下げようともしない。まして社会人になってその関わりが皆無に等しいさまが覗えるのである。

ある意味で逃避と同化のなかで想像の世界の傍観者的立場の発言にさえ見える。本名で書く事もないし、都会の真中でゼッケンを付けたこともなかっただろう。会社や自宅周辺で彼等が部落民だとは誰も知らないのだろう。だから気楽に言えるのだろう。社会はそんなに甘くないし、部落差別は薄まりつつあるとはいえ現存しているのである。その事を受け止めて欲しい のである。
 

しかしながら解放運動への批判は運動団体が自己点検し、悪しき事実に対しての批判を甘んじて受けなければならないのは言うまでもない。
 確かに運動の中では制度に依拠しそれが解放運動のすべてと誤解していた人もいる。制度を自分の利害だけでしか考えなかった人もいる。数えるほどであるが利権に手を染めた人もいただろう。しかし大部分の部落大衆は真摯に運動に関わってきたのである。その時代を知っているのはもう50代以上になっている。厳しい生活を強いられながら自力で運動に関わり、子供の為に、孫の為にと必死に働いてきた、何が何でもと頑張って来て今の実態があるのだ、と、運動に関わらなかった若い人達に言いたい。

 「同和」教育などについても、そんな事をするから差別が残ってしまう、とさえ言い切っている。「狭山事件」なども所詮他人事になっているし、運動の存在がある意味では迷惑みたいな論評すら見られるのだ。本当は運動の本質も知らずかるい想像で話しているのではないかと思わざるを得ない。体験体感のない中では真実は見えないものらしい。
 まして身内のしんどさなんぞ解りはしないのだろう。一人大きくなったとでも思っているのだろうか。 親の心 子知らず なのかもしれない。

 誰かがどこかで書いていた。
かるい想像は「偏見」を生む。当らなくともいい、人をいとおしむ想像力 が欲しい
 その通りなのかもしれないとつくづく思う。


鮎喰人権サイトより

・・・ボクは、「かつて識字学級で千葉刑務所の石川さんあてに年賀状を出したりしました」 と言いながら、石川さんに申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。確かに、学級生は替わり共学者も替わりました。そうした間に、識字学級としての狭山の取り組みが大幅に後退してきたことは否めない事実としてあるのです。
そもそも、ボクが部落解放運動の片隅に身を置くようになったきっかけは1971年2月の東京高裁での狭山公判闘争でした。狭山とであわなかったら今のボクはいないかも知れません。
今一度、初心にかえり、もし今度こういう機会があれば、石川さんとさっちゃんに 「識字学級としてこんな風にやってます」 という報告のできるような取り組みをしなければならないと思いました。ガンバルゾ! ・・・


ラジオ番組『辛 淑 玉のいわせていただきます』6月29日(火)ゲスト:石川早智子さん

早智子さん:私はやっぱり、自分自身の生き方が被差別部落を隠して
生きてきました。私自身も、徳島の被差別部落に生まれたんですけれ
ども、そういう中で部落解放運動、狭山に出会ったんですね。そこで
自分自身が本当にこう生きなおしをした、元気になった。今まで、ふ
るさとを隠すということで汲々としていた私が、ふるさとを隠さない
生き方を選んだ時に聞いた歌が「解放の夕焼け」という歌でした。


本年「部落解放全国青年集会」で実行委員をされる方のメッセージから

岸本真奈美さん
http://www.jttk.zaq.ne.jp/babrk706/ManamiToBobLetter.htm

 ・・・中学生の頃、正しいと思って参加している部落解放運動に時間をとられることがいやで、友達と遊びたい、さぼりたいとよく思いました。
高校生の頃、差別のない暮らしを造る為の仲間を造ろうと躍起になりながら、差別された怒りや憤りを伝えきれないことにいらつきました。
おかしいことをおかしいと言うことは、案外楽ではありません。
被差別部落出身の者であっても、部落解放運動に無関心な人たちも沢山あり、そっちの生き方の方が楽ではないのか、目をつむって歩いていっても誰に文句を言われる筋合いはない、そんな葛藤も多々ありました。
 そんな時、いつも最後に私の心の中に出てくるのは、一度も出合ったことのない、石川一雄さんでした。たったひとりで、檻の中で、独学で文字を学び、訴え続ける石川さんを思うと、結論は出てしまうのです。
 「石川さんは、前を向くしかないんだ。もうしんどい、と思った時点で一生牢屋で過ごす人生が決定する」「牢屋の外にいる私が、何をしんどがっているんだ」
 1981年3月、部落解放運動の中で石川さんのいる千葉刑務所に面会に行きました。私は、19歳でした。「私は1962年生まれです。狭山事件が1963年。私の人生のほとんどすべての時間、石川さんは牢屋の中で闘っておられると、何度励まされたことか分かりません」そんなようなことを話したように思います・・・



“部落の子はいつ部落と出会うのか”HP哲っちゃんランナーズより
http://www4.plala.or.jp/kokoronokinniku/framepage1.htm

 部落の子ども達は、5月23日と10月31日に集団登校をし、学校長に決意文を読み上げる。
 部落青年石川一雄さんが不当逮捕された背景には、深刻な部落差別があった。そして、残念ながら今、現在も部落差別は根絶されてはいない。
 第二の石川さんを作り出さないために、そして獄中で初めて字と出会い無実を訴えるために猛烈な勉強をはじめる石川さんの姿に学ぶためにも部落の子どもたちは、自分の生き方を文章に綴って宣言するのだ。
 しかしこの集団登校も、運動体の学校教育への介入だとか、やらせだとかいう批判が強く、年々下火になってきた。人目につかぬよう、早朝に駆け込んで済ましてしまうところもある。上からの指示だけでしているのなら無意味でしかないが、学校側がきちんと受け止める教育を日ごろから行っていないことへの暗黙の批判でもある。いったい何をやってるの?という周囲の好奇の目にさらされながらの行動には大変な勇気がいるだろう。
 非難の多いこの集団登校の中で、部落の子ども達は何を考えてきたのか、何を訴えてきたのか、形骸化の道をたどりつづける「同和」教育への警鐘としてちょっと振り返ってみたい。もちろん何も出来ていない自分自身への戒めもこめて。

1.「わたしは、ぶらくじんにうまれていやです。」
2. 今ここに、はだかの私がいます。


10・31をきっかけとして、本気で仲間とつながっていくための一つの試み

1.わたしは、ぶらくじんにうまれていやです。

5・23石川一雄さん不当逮捕の日、解放子ども会の子どもたちは、支部長さんの話を聞き、その後で感想文を書いた。中でもA子が書いた感想文は強烈だった。

 「いみがぜんぜんわからなかった。長くてあたまがこんがらがった。はなしもぜんぜんわからなかった。石川さんがかいた文もぜんぜんわからなかった。わたしは、ぶらくじんにうまれていやです。」

 支部長さんの話の中にはやや難しい部分もあったが、子どもたちに一生懸命話しかける姿からきっと何かつかんでくれただろうと思っていたのだが。
 当時、友達づきあいがうまくいかず、落ち着かなかったA子は、原稿用紙を配っても、「わからん。」、「何て書くん。」を連発するばかりだった。支部長の話を簡単に振り返りながら、ぼくも一つの問いを投げかけてみた。
 「みんなは、何で石川さんや部落の事を勉強するん?」と。
 すると、A子はすぐに、
 「部落って何なん。五分で説明して!」
と何度も食い下がってきた。書きたくない作文を何とかして逃れようという計算も働かせていたのだろう。しかし、その執拗さには何か真剣な訴えがこもっているような気もした。
 このややふざけた問いかけの背景には、A子の次のようなつぶやきがあった。

    べんきょう会
 今日、べんきょう会にいった。わたしはべんきょう会はきらいだ。しょうじきいって、なぜわたしが石川さんをたすけなくちゃならないのだろうか。
 もうたすからないのに。(日記より)

ぼくは、もう逃げられないなと思った。本人がいつか自然と気が付くまで、できるだけそっとしておいてあげようという、教師の偽善さや逃げ腰の姿勢を反語的に問われているのだ。A子は言葉は荒いが、感性豊かな子だ。
 五分は無理としても、A子から与えられた課題に全力を傾けて答えていきたい。


「私も一回べんきょう会へ行ってみたいです。」

 さて、A子に、そして3年生のクラスの子どもたちに、どのようにして部落問題を教えようかと思っていたときに、Mという女の子が偶然、解放子ども会について日記に書いてきた。

     ならいごと
 わたしはじゅくには何にもいっていません。なぜかというとならったってべつにどうってことないと思っているからです。でも、バレーはならっています。(省略)Aちゃんたちが行っているべんきょう会って、何をするところかんなあと思います。AちゃんとB君とC君が私たちのクラスでは勉強会に行っています。先生も行っているそうですが、どんなことをしているのですか。わたしも一回行ってみたいです。学校みたいに勉強したりもするけれど、ろうやに入った人のことを話し合ったりもすると、Aちゃんに聞きました。

 ぼくは驚いた。今まで一度も3年生のクラスの中で話題にさえなったことのないことだったから。しかも、ほとんどの子が知っていることに対して。
 せっかくの機会だから、みんなで学習する部落問題のスタートを、「べんきょう会」という教材にしようと思った。

 教材「解放子ども会」を使って

みんなでこの教材を読み進めながら、疑問点を出してもらった。
・身分制度とは?・差別される人をつくりだしてどうするつもりなのか?・部落の人はなぜ差別を受けたのか?・今でも差別は続いているのか?などという質問が出た。これらの問題はあせらずに一つ一つ考えていくことにした。A子はこの勉強のとき、一言も発言しなかった。感想文を読んでみた。

 部落(むら)の子の感想文(抄)

・ぼくたちは石川さんをろうやから出してやる役目があります。そして、さべつのない世の中にしていくために、解放子ども会があるのです。日の出子ども会では、10・31とかするのか知りたいです。さべつをなくすために、がんばりたいです。

・ぼくは解放子ども会に4年間通っているけど、わからないところがいっぱいある。「ぶらく」というのは何なのか。支部長さんはぼくよりレベルが高い。ぼくをレベル4とすると、50くらと思う。ぼくが子ども会に来ている理由は、さべつとかいじめとかを全めつさせられる力をつくるためだ。

 そしてA子は・・・
・わたしはどうして解放子ども会にはいっているのかわかりません。すきではいっているんじゃありません。わたしは入りたくもないし、べんきょうもしたくありません。
 でも、一度入ったらやめられないし、さぼったらお母さんにおこられるからいやです。みんなもすきで入っているわけじゃありません。中学になってもやめられません。だから、むごいです。
 どうしてわたしはぶらくじんに生まれたのかなあ。わたしはすきでぶらくじんになったわけじゃないし、お父さんがぶらくじんだから・・・
 みんなはいいなあ。

 A子の部落認識を、こんな授業では少しも揺さぶってはいないのだ。こんな授業ではA子の心の中に一歩も入れやしないのだ。


2.初めての部落史学習の中から

 10・31ビラ配りをめぐって、クラスで議論した時に、「部落とは何か.誰が作ったのか。なぜ差別されるのか。」という質問が出された。
 解放子ども会のけんじとみゆきは、みんなからの質問に懸命に答えようとしていた。
「お父さんが部落出身だから、将来、差別を受けるかもしれないので、差別をなくすために解放子ども会に入っています。」、「親たちが部落やったから。」という宣言にこちらまで熱くなってきた。
 もう逃げられない。毎年のように起こる中学校での差別発言。腹をくくって取り組まねば。 問題は、差別される側ではなく、差別する側の心の諸相をどれだけ切り広げられるか、それぞれの子が自らの問題としてどれだけとらえうるかである。




本年「部落解放全国青年集会」で実行委員をされる方の言葉の中に
「・・・青年の間でも「狭山」に対する思いはそれぞれです。自分
の親と石川さんの生活が重なって見える青年や、狭山を通して部落
解放運動をますます広げたいという青年などそれぞれです・・・」
とあり、穴が開くほど見つめてしまいました。
「自分の親と石川さんの生活が重なって見える」という青年は、
「事件が自分の地域で起こっていたら、自分の父が逮捕されていたか
もしれない。だから、狭山事件と関わっていこう」と思ったのですね。
それは自分が部落出身者であることもまわりに開示してつながってい
こうとする生き方になりますね。
他方、「狭山を通して部落解放運動をますます広げたい」という青年
も、自分らしい生き方として、解放運動に進む道を選択しつつあるの
ですね。がんばってくださいね。

今日、部落と 部落外の若者文化に 差異はほとんどなくなっており、
部落の青年たちの自分(生き方)探しの問題は、部落外の青年たちの
自分(生き方)探しの問題でもあると思われます。本来生き方は多様
であり そのなかの一つとして解放運動に生きる道もあると思うのです
が、間違ったことを間違っているということは、案外楽ではないです。
そんな時、しんどくても逃げられない(殺人犯という無実の罪をきせら
れたまま、一生を送ることになる)石川さんの存在を知り、牢獄の外に
いる自分は、何をしんどがっているのかと思えば、きっと力が湧いてく
ると思います。

大人たちには、狭山を通じて、自分の生き方を見つめ直してほしいと思います。

かつての同和教育には「部落の誇りを持ち部落差別と闘う子ども・部落民」
という同一の生き方を促してきた側面があったといわれ、そのはねかえり
として、世代間に深い溝が出来ているという報告は確かにあります。

ワタシは溝を作る前に、今現在でも、石川さんのような、「部落の誇りを
持ち部落差別と闘う」生き方以外選べない人がいるのを思い出して欲しい、
決して忘れないで欲しいと思います。

青年たちの世代はそれを知っていくこと、親の世代はそれを伝えて行くこと
で、「差別と闘う」一つの生き方の話は もっとしなやかに受けとめられ、
受け返されていくのではないかと思います。理想論ですが(苦笑)。







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