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2007年05月23日(水) 「犯人は、万年筆とインク消しを持つ人物であり、文字と縁遠い生活をしていた石川さんではない」

(2004-08-08作成資料より)

 狭山事件の100万人署名呼びかけのことが、狭山茶さんの「狭山の風」や、狭山パンフの2004年7月号にも出ていたので、読んでみました。いま焦点となっている第1の点は「抹消文字」「二条線痕」の存在であるとありました。それで、かんちょうさんのサイトの、狭山事件・その真実 見えない手錠を解き放て!〜真実 よりもう少し詳しいPAGE「狭山事件の真実」で確かめてみました。
 まず「二条線」は「万年筆やペンのような、先の割れる筆記用具で書いた」(つまりボールペンでは出ない)証拠で、例の、封筒宛名書きにあった「少時」に「 多数の抹消文字があり、9本の二条線痕がある」(齋藤第5鑑定)。そして「・・・脅迫状の 『少時』 の背景からは、『女』『林』『供』『八』『二』 の5つの漢字が出てきた」「・・・『少』 の背景に31本、『時』の背景に62本の筆圧痕があった」。
抹消文字に関しても「・・・当時、ボールペンインク消しはなかったので、インク消しで消された万年筆の文字のあとと考えられる」また、「万年筆のインクはブルーブラックで、事件当日までYNさんが使っていたライトブルーのインクではなかった」から 東京高裁の”訂正に使用した万年筆は、被害者を殺害した後、奪った万年筆で書き加えたもの”という認定をゆるがす。
以上のようなことから、「犯人は、万年筆とインク消しを持つ人物であり、文字と縁遠い生活をしていた石川さんではない」し、齋藤第5鑑定では、「これは、犯行以前に万年筆で書き、消した文字の痕跡である』と結論づけた」。
そして、斎藤鑑定人だけでなく「41年目の真実」として、当時の埼玉県警の鑑識課員も「抹消文字」の存在を現認していた(斎藤第5鑑定補遺)から、これは斎藤鑑定人の「独断」や「推測」では済まされず、狭山弁護団は、2004年3月23日の特別抗告審で、斎藤鑑定人尋問など事実調べを求め、まさに正念場を迎えるわけですね。また、気づいた点などフォローお願いします。


*100万人署名呼びかけのケイカ・・・



<月刊「狭山差別裁判」367号/2004年7月>
http://www.bll.gr.jp/sayama/syutyo-367.html

「41年目の真実」を広げ、最高裁に公正・公平な裁判―事実調べを求める署名運動を展開しよう



 狭山事件の再審を求める文化人の会は、代表の庭山英雄弁護士をはじめ、ルポライターの鎌田慧さん、作家の灰谷健次郎さんらで最高裁をおとずれ、学者・文化人の署名を提出し、事実調べ―再審開始を強く求めた。

第2次再審請求において元鑑識課員である斎藤保・指紋鑑定士による鑑定などによって石川さんの無実が明らかにされているにもかかわらず、寺尾判決以来30年近く一度も事実調べがおこなわれていないからである。事件発生から41年以上が経過しながら、事実調べも証拠開示も十分におこなわれていないことはあまりに不公平であり、正義に反することを最高裁に強く申し入れたのである。
 狭山弁護団は、この特別抗告審で、斎藤第5鑑定、第5鑑定補遺を最高裁に提出し、鑑定人尋問など事実調べを求めている。
 
 いま焦点となっている第1の点は「抹消文字」「2条線痕」の存在である。

これは犯人が犯行前に万年筆を使用していることを示す事実であるが、犯行前の万年筆使用痕跡は石川さんでは説明がつかない。41年前に「抹消文字」の存在を当時の埼玉県警の鑑識課員も現認していたという斎藤第5鑑定補遺の指摘も重要である。事件当時からこれが問題にされていたら万年筆と無縁だった石川さんがえん罪にまきこまれることはなかったかもしれないからだ。少なくとも「抹消文字」 の存在は斎藤鑑定人の「独断」や「推測」ではすまされない。斎藤さんの鑑定人尋問もおこなわず、この点について何も判断しなかった東京高裁の再審棄却決定も異議申立稟却決定も誤りであることは明らかだ。
「抹消文字・2条線痕」は元鑑識課員という専門家が科学的に明らかにした「41年目の真実」 である。
 
弁護団が、最高裁に公正・公平な判断をせまっているもうひとつの点は「非識字者である石川さんが脅迫状を書いたのではない」ということである。
弁護団は、大阪での識字学級生による脅迫状書き取り実験をもとに、石川さんが非識字者であり、脅迫状を書いていないことを筆記能力の面から明らかにした意見書を昨年も提出した。石川さんが字が書けず、犯人ではないということは41年前に石川さんの父の富造さんや兄の六造さんら家族も訴えたことであり、ルポライターの鎌田慧さんが新刊書で強調していることでもある。弁護団は、当時の石川さんが部落差別の結果、文字を奪われていたこと、脅迫状を書いたことはありえないことをさまざまな角度から明らかにしてきた。石川さんが脅迫状を書いたのではないとする専門家の鑑定書、意見書は21通にものぼる。にもかかわらず一度も鑑定人尋問さえおこなわれていないことは不当であると弁護団は最高裁に今せまっているのである。
この市民常識として理解される「41年目の真実」も広げなければならない。
 
文化人の会では最高裁あての署名を広く全国ですすめることを呼びかけている。
部落解放同盟中央本部では、この署名を10・31にむけて、100万人を目標にとりくむことを決定している。
いま、鎌田慧さんの出版した「狭山事件、石川一雄、41年目の真実」がマスコミでもとりあげられ、ひろく読まれている。狭山事件について、あらたに関心がひろがっている。
23デーのビラ配布や市民集会など各地における地道なとりくみが大きな世論に結びつく絶好のチャンスである。教宣活動とあわせて、全力で署名にとりくもう。


*いま焦点となっている第1の点は「抹消文字」「2条線痕」の存在であるコトカラ・・・



脅迫状及び封筒が作成された経緯
 
脅迫状及び封筒の作成経緯については、石川さんの自白によると、

○ 昭和38年4月28日に自宅で妹の大学ノート1枚を用い、兄の手箱の中にあったボールペンを使って本件脅迫状を作成した。犯行日である同年5月1日午後4時頃から6時頃までの間に、被害者を誘拐した後、殺害した雑木林で、脅迫状の「4月28日」という文字を「五月2日」に、「前の門」という文字を「さのヤ」と、それぞれボールペンで訂正しています。また、封筒に同ボールペンで「中田江さく」と宛名を記入すると共に、被害者の持ち物から取り出した同人の身分証明書を同封等に入れて封印しました。その後同日午後7時30分頃、被害者宅庭に侵入し、本件封筒を同家のガラス戸から差し込み投入するに際し、念のため、その場で封を切って挿入しておいた被害者身分証明書の在中を確かめた後、被害者宅に差し入れたものです。

○ このボールペン書きの事実認定は、後の昭和47年1月の秋谷鑑定(東京高等裁判所が選任依頼した
  筆記用具材質鑑定)を受けて、一部が万年筆又は、ペンで書かれたものと訂正されています。その部分は、脅迫状では、雑木林で訂正した「五月2日」と「さのヤ」であり、封筒では、「少時様」の訂正線と表裏側の「中田江さく」です。

○ そのため、東京高等裁判所は、訂正に使用した万年筆は、被害者を殺害した後、奪った万年筆で書き加えたものとして認定しています




*訂正に使用した万年筆は、被害者を殺害した後、奪った万年筆で書き加えたものデハナイコト・・・



齋藤第2鑑定

 3カ所の「中田江さく」の文字はわずかにジワッとにじんだ状態にあり(万年筆インキはアセトン溶液には溶解しないのに)、これは外側から水がしみ込んで濡れたものと認められる。同様に万年筆等ペンで書かれた「少時」や訂正線にはこのようなにじみはまったく見られない。
 事件翌日なされた指紋検査によって脅迫状・封筒から関係者の指紋が検出されている(警察官と被害者家族のもの、石川さんの指紋はなかった)。

水に濡れた紙からは指紋の検出は不可能であるから、

事件当日、封筒・脅迫状は濡れていなかった。従って、「中田江さく」は犯行前ににじみが存在しており、すでに万年筆によって記載されていたことが推認される。




*2条線痕が現れる筆記用具は、ペン先が割れる万年筆又はインク付けペンデアルトイウコト・・・

*狭山事件当時はまだボールペンインク消しはないコト・・・




斎藤第5鑑定補遺は、事件当時の埼玉県警鑑識課の筆跡鑑定書に、犯人の残した封筒表の「少時様」部分に抹消文字があったので赤外線写真などで検査したと記載されていることを指摘するものである。
 封筒に抹消文字が見られることは斎藤鑑定人が第1鑑定から指摘していたことである。
斎藤鑑定は、狭山事件当時はまだボールペンインク消しはないことから、
抹消文字は万年筆で書かれ、万年筆インク消しで消された痕跡であると指摘した。


*斉藤第5鑑定は、狭山事件で犯人の残した脅迫状の封筒にはっきりと存在する「2条線痕」が万年筆で書かれた痕跡であることを実験と分析によって明らかにした。封筒上に「2条線痕」すなわち犯行前に万年筆で書かれ消された筆圧痕が存在することは、犯人が万年筆および万年筆インク消しを持ち常用していたことを示しており、石川さんではありえないと弁護団は主張している。


 さらに、万年筆によって書かれた抹消文字の存在は、その上に書かれた「少時」が万年筆で書かれていることや、「中田江さく」が犯行前に万年筆で書かれているという斉藤鑑定人のこれまでの指摘をさらに補強する。自白の不自然さ、自白と客観的事実の食い違いからしても、被害者から当日奪った万年筆で封筒・脅迫状を訂正したという確定判決のストーリーも自白の信用性も完全にくずれているというべきであろう。
<月刊「狭山差別裁判」359号/2003年11月>



提出された新証拠のひとつである斎藤第五鑑定は、犯人の残した封筒に「2条線痕」がいくつも存在していることを明確にしたうえで、封筒上のその他の万年筆の痕跡と同様の「平行な二本の線」という特徴を示しており、万年筆で書かれた痕跡であることを明らかにしたものである。斎藤鑑定人は、封筒の『少時』の文字も指紋検出薬のニンヒドリンアセトン溶液にたいする反応から万年筆と鑑定している。また、「中田江さく」文字の水濡れによるにじみからこれを犯行当日以前に万年筆で書かれたものと鑑定している。すなわち、封筒上の万年筆の筆圧痕の存在は万年筆で書いて消すということをくりかえしている真犯人の犯行手順を示しており、これは石川一雄さんとはまったく結びつかない。石川さんの家には万年筆、ましてインク消しなど存在しないし、自白でも、すべて筆記用具はボールペンとなっている。寺尾判決は、被害者の万年筆を雑木林で盗って訂正筆記具に使ったと認定し、この矛盾をごまかそうとしたが、雑木林で犯行後に万年筆を盗ったという認定は自白から見ても、証拠から見ても絶対にありえない。




有罪判決では、「脅迫状封筒の下部宛名『中田江さく』は、犯行後に被害者から奪った万年筆で被告が書いたもの」とされていました。
 これは、(1)犯行前に石川さん周辺に万年筆がなかったこと、(2)石川さんは犯行前に被害者やその家族のことを全く知らなかったこと、(3)石川さんが逮捕された後に石川さんの自白にもとづいて「被害者のものと思われる万年筆」が石川さん宅から発見された(※)、ということから導き出された結論でした。
 したがって判決の論理で言えば、「宛名『中田江さく』が犯行前に書かれることは絶対にあり得ない。なぜなら石川さんが犯人である限りそれは不可能であるから」となります。


※事件発生前には、石川さん宅に万年筆やつけペンはありませんでした。
石川さんがもしそれらを入手し得たとすれば、それは犯行をおこない被害者から取得した以外には考えられません。
そのため、石川さんの逮捕後におこなわれた家宅捜索の結果石川さん宅から被害者のものとされる万年筆が発見されたことが、石川さんの容疑を裏付けるものとして大きな意味を持ちました。
 しかし、よく知られているようにこの家宅捜索で発見された万年筆には以下の重大な疑問がありました。

(1)一度目・二度目の家宅捜索で万年筆は発見されず三度目の捜索でようやく発見された。しかも三度目の捜索で万年筆が発見された場所は一度目・二度目の捜索の際に十分調べられた場所であることが捜査官の証言によって明らかになった

(2)発見された万年筆に入っていたインクは被害者が使っていたものと違っていた

(3)発見された万年筆の中にも外にも被害者や石川さんの指紋が発見されなかった

(4)発見された万年筆が被害者のものとされる根拠は家族の一人が「似ている」と言っているだけで製造番号や保証書で確認されたわけではない



 



「・・・1回目・2回目の捜索で発見されなかった万年筆が、なんと3回目の捜索で発見されたのである。・・・
。音間17分・12人、■音間8分・14人、24分・3人・・・さほど広くもない石川さんの自宅の家宅捜索に費やした時間と実行した警官の人数である。,和疂疆日の5月23日、△錬況遑隠呼、は6月26日。」

「・・・そして決定的なことに、万年筆のインクはブルーブラックで、事件当日までYNさんが使っていたライトブルーのインクではなかった。」

「・・・『少』 の背景に31本、『時』の背景に62本の筆圧痕があった (第2鑑定より多かった)。しかも、その中に9本の二条線が確認された。
・・・万年筆やペンのような、先の割れる筆記用具で書いた後の 『二条線』になっている。」

「・・・脅迫状の 『少時』 の背景からは、『女』『林』『供』『八』『二』 の5つの漢字が出てきた。

・・・これらの文字も二条線が現れているから万年筆またはペンで書いている。脅迫状にも、万年筆で書かれ、消された文字があったのである。

「・・・当時、ボールペンインク消しはなかったので、インク消しで消された万年筆の文字のあとと考えられる。」

「・・・再度になるが、犯人は、万年筆とインク消しを持つ人物であり、文字と縁遠い生活をしていた石川さんではない。

「・・・『N江さく』 のにじみは水にぬれたからだが(当日は雨)、水にぬれると指紋が検出されない。しかし、指紋は検出されているのだから、・・・


「・・・以上から、齋藤第5鑑定は 封筒の 『少時』 の背後に多数の抹消文字があり、9本の二条線痕がある。これは、犯行以前に万年筆で書き、消した文字の痕跡である』と結論づけた。




「・・・2004年3月23日特別抗告申立補充書をもって、特別抗告審は正念場を迎える。齋藤一連鑑定やその他の鑑定書・意見書などにもかかわらず、この間の一連の裁判所側の棄却決定の理由を見れば、予断を許さないと言わなければならない。
自分に何ができるか、また、何を為さねばならないのか、常に問いながら、石川さんとさっちゃんの闘いに応えていける自分でありたい。

鮎喰(あくい)人権サイトより

 


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