『奈良県同和問題関係史料』(奈良県立同和問題関係史料センター編,奈良県教育委員会刊,2002.3)より抜粋
□□村は宇陀郡内にあった「穢多」村のうち唯一の独立村であった。
古市場(現菟田野町)からの独立時期については後に詳しく述べるが、十八世紀の後半までと考えられる。
また、近代には皮革産業に支えられた経済的発展をとげ、宇陀郡内のみならず、奈良県全体の部落改善運動、水平社運動の中心的役割を果たした。
史料1(宇陀郡上芳野村<現菟田野町>に鎮座する惣社水分神社の祭祀にかかる史料、一五九七)では、渡御祭に際して古市場水分社境内に設けられた桟敷席についての記述があるが、「穢多」が昔から「柴居」の「警固」の役を負っていたと記している。
「柴居」を「芝居」すなわち舞台と桟敷席の間に設けられた芝生の見物席のことと解すれば、芝居の警護が「穢多」の役目だということになろう。
また、「柴居」を柴木で作られた垣根と解すれば、祭礼の行われる神域の警護が「穢多」の役目だということになろう。
史料24(古市場村の水分神社と惣社水分社の間で争われた祭祀権争論、一八一八〜一八四四)では、□□村は神輿渡御の際に先頭を歩き、道筋の「不浄之品」を除去する役割の村であったと記されている。
□□村が惣社・古市場両水分社のキヨメの役割を負っていたことを明らかにするものであり、こうした神社祭礼への「穢多」村のかかわりは・・・などで確かめられ、多くの神社で明治初年の神仏分離期まで続いたものだが、□□村の近世以前の姿を確かめる上で貴重な「証言」である。