國學院大學教授の瀧川政太郎氏が、かつて昭和三十四年一月に、自由民主党同和問題議員懇談会の依頼で、「歴史上より見たる同和問題」という講演をした。・・・
「鷹のねい猛性を保持していくために、絶えず鷹に生肉を食わさなければなりませんが、生肉は何がいいかというと、犬の肉が一番いいのであります。・・・ですから鷹飼即ち犬殺しは鷹の餌をとるというので、餌取と呼ばれました」と、従来、エトリの称が転訛してエタになったといわれてきた通説をふまえて、犬殺しが即ちエトリであるとこじつけるために、敢えてとりとめもない論証をこころみ、病気の鷹には犬の前足を食わせれば直るというデタラメなことまで述べてある。
今日では、エタはエトリの転訛であるという説には、疑問が持たれていて、エタという語は、最初は清掃人夫に対する隠語として使われていたのが、次第に日雇的雑業者を呼ぶ名称に拡げられてゆき、やがて、その日雇人夫を中核とした社会的身分を意味するものに転用されたと、考えられている。
しかし、瀧川氏が古い通説に従ったからといってそれを責めるわけにはいかぬが、ただ、餌取りということばから、犬殺しへと飛躍していく思考に、瀧川氏の差別的な偏見が認められるのである。
当時、鷹の餌として普通には小鳥が用いられていて、それが不足した場合に、にわとり、犬などの肉も使われることがあった。しかしそれは、あくまで補助的な飼料にすぎなかったのである。
餌とする小鳥を捕らえるのが餌取りで、後にこれが餌刺しと呼ばれるように変わった。
こうした点を瀧川氏はよく調べないで、犬殺しとエタを結びつけるためにのみ急いでいる。
それは、以前には都市周辺における部落の貧困者の中に、生活のために犬取りを業とする者があり、その印象に基づく差別が根強く残っていて、瀧川氏の心にもそれがひそめられているからである。・・・ (『部落解放』七号、解放出版社、一九七0年四月 所載)