9.11の事件後も反暴力の立場を貫く米国の言語学者ノーム・チョムスキー。彼は歴史的に重要なことは「どこがやられたのか、ということである」とし、犯罪に加担しない方法は「参加しないことである」と言い切りました。これほど、辛らつに世界を見ながら、彼はなおも「この人間社会はよい方向に向かっている。封建制度の時代や、奴隷制度のある時代よりましである」と人間社会の歴史を肯定的に見る視点を持っていることには驚かされます。
☆「9.11アメリカに報復する資格はない」(チョムスキー著・文藝春秋)
米国のグローバライゼーション・プロジェクトには過去数年のうちに抗議活動が裕福な国にも及んだ。テロで全世界的抗議行動は確かに後退させられる。しかし、抵抗なしにそんなことが起きることはないし、短期的にはともかく、成功は疑わしいといえる。 コソボへの介入が「人道的介入」であったか事実検証の問題であり、あらゆる軍事力の行使がこうした言葉で正当化されるというだけの理由によっても、実態が問題である。 研究書は、犯罪は「人道」の仮面をかぶって行われたといっている。 正しい言葉は「人道に対する犯罪」であろう。犯罪を処罰するには法がある。犯人を突き止め、責任を問う。だがそれには確かな証拠がいる。そしてそれは危険な質問にドアを開く。
信じるに足る証拠を出すことは決して簡単なことではない。 記録をきれいにし、米国を無実の傍観者に仕立て上げる努力が始まっている。これは最も初歩的なジャーナリストの基本を冒すものである。
直後の反応はショック、地獄のおぞましさ、怒り、恐怖、復習欲。だが世論は様々だ。流れに抗する動きもまもなく現れた。主要新聞の論説にもそうした動きが認められる。
銃口が今までと別な方向に向けられている。西側は敵の選び方において極めて普遍的、世界的。判定基準は服従であり、権力への奉仕であって、宗教の如何ではない。このことを証明する例はほかにも数多くある。
ほとんどすべての犯罪には、路上の強盗であれ大規模なテロであれ、理由がある。ふつう、我々は理由の中には処置すべき重要なものがあることに気づく。 犯罪の場合には、スケールがどうであれ適当かつ合法的な対処方法がある。 これが国家の取るべき手段である。これが筋道というものである。もう一つの道がある。過激な暴力で応じ、暴力の悪循環をエスカレートさせ、更なるテロを起こさせ復習の掛け声を強める道である。この力学はおなじみである。
政府の広報専門家が「戦争」という曖昧な言葉を「犯罪」というもっと明瞭な言葉よりも好む理由はその辺りにあるのかもしれない。
大事な基本的質問がいくつかある。 第1の質問は「われわれが取りうる行動にはどんなものがあり、それぞれの結果はどんなものになりそうか」である。法を遵守するなど。これに対し、現在までのところ、暴力による反発を促す太鼓の響きばかり。 第2の質問は「なぜ?」である。この問いが真剣に問われることは滅多にない。 少なくとも暴力のエスカレートではなく、それを減らすことを求めるのであれば、こうした話は新聞の第一面に載るべきなのだ。
私の考えではおそらく、大多数の人は相手構わず打って出て、多くの無実の人々を殺戮することには反対である。しかし主要メディアや知識階層一般が危機に際し権力を支持して勢揃いし大儀のために一般大衆を動員することはよくあることである。・・・このパターンの歴史は古い。 私は一般化を好まないので具体的な例を一つ取り上げよう。・・・数はわかっていないが(多分、何百万)飢えているアフガニスタン人が死ぬことになる、という意味である。彼らはタリバンか?彼らはタリバンの被害者だ。
テロ事件の実行犯は被害者から目をそむけたがる。
もう一つの選択肢は、背後にある懸念や苦情を現実的に検討し、それに手当てする一方で、法のルールに従い犯人を処罰する。これの方が遥かに理にかなっている。 我々が支援する過酷で残虐な政権下の国民を、こうした責任を取らないと言って責めるのはフェアでない。遥かに恵まれた環境下にある我々だってやっていないのだ。 わざとそうするなら別だが、事実を知らぬままでいる必要はない・・・被害者はむろん事実をよく知っているが、彼らを被害者にした国際テロ事件の規模や性格となると、きちんと把握している者は、ほとんどいない。 我々は近年の民衆闘争の教化的効果を過小評価すべきではない。
歴史的記録こそ圧倒的に重要である。
「西側式の生き方」については、そこには様々な要素が含まれ、たくさんの非常に賞賛すべきものがあって、イスラム世界において熱心に採用されているものがたくさんある。犯罪的なものもたくさんあり、人類が生き残ることに脅威となっているものさえある。
封鎖された国境に着いた難民は、罠にかかった動物のように沈黙のうちに死ぬことになる。ほんのわずかだけが、隔絶した山の峠を抜けて逃れることができる。国境の向こうの難民キャンプには記者と救援スタッフが何人かいる。・・・彼らも、我々も、知っているのは彼らは運がよかった、ということだ。逃げることができた少数なのだ・・・そして彼らは、この静かな皆殺しに優しくなってもらいたい、と希望を表現する。
沈黙の服従を要求する連中は出てくるだろう。しかし、脅かされぬこと、真理と、正直さと、自分がすること、あるいは、し損なうことによる人間への影響を懸念する道を踏み外さないようにすることが重要である。 自明の事実を乗り越え、一つ一つの問いに目を向ける。調べ、行動するために。
チョムスキー インタビュー・講演 http://terasima.gooside.com/
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