
☆平成12年12月定例会
今から七十八年前に先輩たちは、「いたわるかのごとき解放運動が何らの成果をもたらさない。人間はいたわることではなくて、尊厳を受けるべきだ」という高らかな世界に誇る人権宣言とも言うべき水平社宣言を発して、私たちがいちずにこの一世紀間闘い続けて・・・
県民の中でもまじめに解放を願うてきた者にとっては、身を裂かれるような苦しい思いをしながらこの壇上に立たざるを得ない。もちろん、我々の側の反省すべきは当然反省すべきだと思いますが、これをここまでこういう不正な貸し付けをした行政の責任は、私は極めて大きいと思います。
そして、きょうのような事態になったときに、それでも私はなぜ委員長や副委員長は真実を述べることに拒否反応を示したのだろう。私は絶えず、真実が明らかにならないところからは前進はないと思っています。そして、改めてそのときに「解放の運動家とは」という先輩の書いた書類やらさまざまを読みました、今。七十八年前に水平社をつくった我々の仲間は、解放運動とは人間性の原理に覚せいして人類最高の完成に向かって進むのが解放運動だ、それでこそえたであることを誇り得ると、そして常にその活動家は自己を犠牲にしても大衆の利益が優先されなければならないと。私たちは厳しく諭されながら解放運動をやったものでした。
私は、あの偽証罪で問われた二人も、そういうとうとい信念を持って解放運動の長におさまっておったと信じております。また、あの時代の社会的背景を見ても、たくさんあった縫製工場が次から次へ閉鎖をされ、賃受けで縫製工場の経営を維持することが非常に困難な状態になっておったというのも事実です。
先日、山本元副知事は、あの当時の状態からいえば私の政治的判断には狂いはなかった、必要だったとはっきり述べられました。うちの二人も、そのことを胸を張ってなぜ言えなかったのだろう。後で資料を見るところによると、平成三年から四、五、六、そういう要求をしよったことも後で知りました、私は。固有名詞を出さなかったから安原構想とは無関係だということは社会的には通用しないと、私でさえ思います。しかし、その要求は運動側としての正しい要求だったと私は今も思います。それをなぜ胸張って言えなかったのだろうと思います。それを受けた山本元副知事は、胸を張って、あの当時の社会的背景からいえば、ああすることが同和対策にとって大切なことだと言い切っています。
それをなぜ知らず存ぜぬ。三役が安原構想に加わったではないかと言われても、それは個人的に出たのであろう、知らない。今いずれも当時のその三人とも他界されておりますが、あの人たちといえども、個人的にそれへ加わったとは私は考えられません。だから、まず真実を述べて、その当時必要だったということを自信を持ってなぜ言えなかったのだろう。本当に残念でなりません。
そして、元副知事はすべて自分でやったと言っておられますが、きのうの知事の回答でかなり知事もそのことでは反省して、そして県民にお断りをした。私は、このことで大体は追い打ちをかける気はございませんけれども、もう一つ私たちの立場にすれば、知事さん、もちろん県民全体には迷惑をかけましたが、なかんずく本気で同和対策に、差別をなくする人権のとうとさを……。同和対策とは特定の人の頭をなでることでも、いつぞや梶原議員に指摘されたように三カ月で四十何回も同和をだしにお酒を飲むことでもなかったと思います。あの二十六億円がどれほど部落の、知事も昨年お会いしていただいたあのおばさんたちを喜ばすような結果になったのか、一体同和地区の仕事保障にどうつながったのか、私はそのことに、もう一つ心を込めて一言言葉をいただきたいと思います。
