たりたの日記
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2016年03月20日(日) 受難週の始まりの日に

3月16日、退院後初めての早朝ウォーキング。あれから毎日続いていて今日で5日目。昨日は雨が降っていて、今朝は風が強かったが、それがまたよかったりする。もともと人の姿があまりない道なのだが、昨日も今日も歩いているのは、わたし一人だけ、なんだか贅沢な空間と時間。

この道、綾瀬川に沿って6キロほど伸びているジョギングロードを、わたしは、祈りの道とか伊奈コンポステーラとか呼んでいる。運動が目的というよりは、歩く瞑想の時間。フランスの巡礼路を歩いた時の気分がここに繋がっているといっていい。人生がひとつの巡礼とするなら、生きる事のベースになる行為のようにも感じている。

この季節には菜の花の柔らかい緑の葉に黄色の蕾が膨らみ、高い空の上から雲雀の楽しげな囀りが聞こえてくる。川辺には鴨や白鷺、運がよければ、美しいカワセミも会える。
広々とした田畑の中を通る道なので、視界は遠くの家々やその向こうに霞む山々まで、広がり、空はそのスパンと開けた空間の上に遥かに広がり、道に立って360度回転すると、丸い地球の只中に、遥かに広がる宇宙の中にぽつんと立っている自分がいて、その自分が地球のそして宇宙の創造主と繋がっているような感覚がおこる。不思議な幸福感である。

この道を早朝に歩くようになったのは2年前のこの季節。受難節の40日間、毎朝歩いたことがきっかけだった。初めは時折の断食同様、イエスの受難を覚える事として始めたのだか、それは喜びとなり、楽しみとなり、受難節が終わっても年間を通して歩き続けることになった。

今回33日の入院生活で一番憧れたことは、この朝の歩行だった。だから、また、この道を歩けるということがしみじみと嬉しい。身体の調子をみながら、速度をゆっくりしたり、距離を短かくしたり調節しながらだが、往復1時間歩ける日もある。こうして、回復の状態を確認していく行為にもなるのだろう。

そして今日は東久留米の聖グレゴリオの家の棕櫚の主日のミサに参加することができた。
夫の車でではあったが、退院後の初の遠出だった。
去年は、復活徹夜祭に参加し明け方4時からの復活祭のミサにあずかったが今年はさすがにそれは無理なので、せめて今日のミサには出たいと思っていたのだ。
昨日は、棕櫚の主日のグレゴリオ聖歌を聞いたり歌ったりして準備もしていたから、今日は聖歌隊の方々に合わせて歌うこともできた。復活祭までの1週間の受難週をこのように始めることができたこと、心からうれしい。


たりたくみ |MAILHomePage

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