たりたの日記
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始まりは鋭い胃の痛みだった。雪の降った1月18日のこと。英語教室で指導中、夫に胃薬を買いに走ってもらった。痛みは落ちつき、翌日も胃の不快感はあるものの、午前中は大針区民会館でヨガの指導、夕方からの英語教室3クラスと、問題なかった。
20日から26日まで長男のところの産後の手伝いに出向くことになっていたので、20日に調布へ。次第に胃薬では治りがつかなくなり、加えて白色便、褐色尿、全身の痒み。これはただの胃炎ではない。ネットで調べてみると、胆嚢、肝臓、膵臓辺りに問題がありそう。23日にひとまず自宅に戻り、行きつけの病院を受診。黄疸が出ていた。検査結果と共に大宮市の大きな病院へ。そこでさらに検査。
胆管癌という診断を受けた時、なぜか、やっぱりそうかというの感覚があり、不思議と驚きはなかった。 舞台は暗転とはならず、むしろ、背後から光が差して一段の明るくなっていくような感覚が起こった。「守られている」「あの方が側にいる」というのが実感だった。 と、すれば、この病気と対峙すること、そのものが、わたしが与えていただいた恵みなのではないかという気持ちがしてきた。 我ながら、何というポジティブ思考かとあきれもする。また、今後、不安や恐れに見舞われないとも限らないではないかというツッコミも聞こえてきはするものの…
このことは、病気の克服というタパス(苦行)であるかもしれないが、場合によると、わたしの人生のクロージングとの対峙へと導かれることになるかも知れない。 いずれにしろ、上から与えられた課題であることにはちがいない。 ありがたいことには、課題の向こうには、暖かく安心な眼差しがあることだ。 まずは自分を不安に差し出すことはせず、身体の事は医師にすっかりお任せし、制限のある病院生活の中であっても、魂に喜びを感じる生活を淡々としていこう。ヨガ、呼吸法、瞑想、読書、音楽を聴くこと、すべてベッドの上で可能だ。 手術は18日の予定なので、それまでの日々を 豊かに過ごそう。
入院初日と翌日は食事も取れず、痛みがあったので、横になっていたが、昨日からは、起き上がって、ヨガもし、手芸もした。 生まれたばかりの愛美の初節句に吊るし雛を贈りたいと注文していた手芸セットを夫が届けてくれた。まずは<子の成長>のモチーフ の7つの下げ飾りを仕上げることにする。一日に一つづつ。 昨日は2時間ほどかけて、一つ目の水仙を作った。 「吉祥の花、生命力のある花、子供の健やかな成長を願って」という意味が記してある。
一針、一針、成長を祈りながら、縫うという作業。この行為そのものが祈りなのだと思う。 この吊り雛作り、けっこう時間がかかる。注文はしたものの、病気になって入院でもしていなければ、とても出来ないことだったな。 それとも、このこともまた、昨年のヨガの学びや瞑想やグレゴリオ聖歌の学びと同様に、これから迎えることになっている試練を助けるものとして、初めから用意されていたものと考えることもできる。 夫が12月で退職し、家にいるので、全面的にわたしのサポートを引き受けてくれていて、心丈夫だ。ことことがらもまた、天の配剤。 6歳の孫、2歳の孫も含む家族の祈りもまた心強く、うれしい。
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