たりたの日記
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2009年07月28日(火) 2002年02月02日の日記・イーノトシロヲさんの宮沢賢治

あまり書き込みがなく、それでついチェックを怠ってしまうホームページのguest note をふと開いて驚いた。

書き込みはイーノトシロヲさんの奥様からだった。イーノトシロヲさんの一人芝居は一度しか観ていないのだが、今までに見たり聞いたりした宮澤賢治の表現では今持って最も印象的で忘れることのできないお芝居だった。
今も、7年前のその芝居を、イーノトシロヲさんご自身をありありと甦らせることができる。
あの命溢れる舞台の三年後の2005年6月10日に、イーノトシロヲさんが癌でお亡くなりになったということも今日知った。そして奥様が、闘病中のイーノトシロヲさんに、わたしの書いた日記を何度も見せて下さったということも。

あのお芝居も、そして書いた日記も、7年も前のことなのに、その時が今の時間の中に入ってくる。そしてすでのこの世にはいないイーノトシロヲさんのあのお芝居も記憶の中で生き生きと生き返る。

生きるということ、表現するということの不思議。
いつまでも消えずに生き続けるものがあるのだ。

ここに、イーノトシロヲさんの一人芝居を思い起こしながら、その時の日記を載せたいと思う。日記に続けて、イーノトシロヲさんの朗読で泣きながら聴いた賢治の詩もいっしょに。


2002年02月02日(土) イーノトシロヲさんの宮沢賢治

息子の通う高校で宮沢賢治の作品の一人芝居があるというので夫と出かけた。一人芝居を演じるのはイーノトシロヲさん。会場の視聴覚室はもうアングラ劇のテントの中のような空気に包まれていた。
出し物は「どんぐりと山猫」と「なめとこ山の熊」。「どんぐりと山猫」は二人ともかなり好きな作品でいつだったかお互いに朗読してみたりしたこともあった。

宮沢賢治が好きな人にはたくさん会ってきた。本も映画も舞台も様々な人が語ったり表現したりする賢治の世界を見てきた。その人を通しての賢治なのに、そこには紛れもない賢治だけが持つ世界が再現されいつもいつも胸がいっぱいになった。目の前に現れたのはイーノトシロヲという初めて出会う人だが、彼の口から出てくることばは長年馴染んできた賢治の言葉であり、芝居を通して見えてくる情景も、そこに吹く風もなつかしくてならない世界だった。ただその世界がぼんやりとではなく色あざやかにまた生き生きとそこに映し出されていた。しっかりとした語りであり演技であったからだろう。私はすっかりお話に身をまかせて一郎の後をつけていっしょに山猫とどんぐりの世界へ旅し、また熊撃ちの男の後を歩き、熊の声を聞いた。

二つの芝居の後にイーノトシロヲさんは観客へ向けてのメッセージを語った。それは賢治の「注文の多い料理店」の序文として賢治が書いたものだった。それはそのまま賢治の作品を演じるイーノトシロヲさんの心からのメッセージだったのだろう。その語りかけを聞きいて泣けた。賢治の言葉に触れる時にしか起こらないひとつの感情。なぜ賢治が好きなのか言葉にはできないがこのどうしても泣いてしまうこのツボがその理由だと分かっている。

「わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません」という賢治の願いはみごとにかなって、どれほど彼のものがたりは私のすきとおったほんとうのたべものとなり私を養ってくれたことだろう。そして今日もこの一人芝居を通して私はこの稀有なたべものをたっぷりといただいた。感謝。


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注文の多い料理店  序


わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、
きれいにすきとおった風をたべ、
桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。
わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。
これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです。
ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。
ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです。
ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでしょうし、ただそれっきりのところもあるでしょうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、わけのわからないところもあるでしょうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。
けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。

     大正十二年十二月二十日
                          宮 澤 賢 治 


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