たりたの日記
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| 2009年07月04日(土) |
呼び交わす蛙の声と声〜糸畑の池で |
7月22日に記す (十二湖散策その3)
<糸畑(いとばたけ)の池 >

青池から金山の池を巡り、もののけの気配が迫ってくるような密林をようやく抜けたところに糸畑の池はあった。
何も生きものの姿は見えない静かな湖水のあちらこちらから何とも高らかな生きものの声がしている。
蛙? これは蛙に違いないのだが、わたしの知る、虫のように同じフレーズを繰り返す蛙の声とは明らかに違う蛙の声にどきりとする。
ギュルーリ ギュギュ ギュッルーリとあちらから聞えれば、そこから随分離れた草叢からクルッ クルッ クッ クッールとそれに答える声がする。
そうすると、また別の声の蛙が、グッ グッ グルッグ と鳴き、そこにまたクルッブ クル クル クルッブ クル クルと呼応する蛙がいる。
呼び交わす、蛙の声と声・・・
恋人の蛙どうしがお互いに呼び交わしているような艶かしく、生き生きとした声が響き渡っているのだった。
これはもう言葉だとあっけにとられる。
わたしには意味は分からないが、彼らは言葉を語っているのだと。
あぁ、詩人、草野心平はこの蛙たちの言葉を聴き取ったのだなと思った。
わたしには蛙の言葉を聴き取る耳がないので、 草野心平の詩の中のごびらっふさん、どうぞ、こちらに登場して下さい。

ごびらっふの独白
草野心平
るてえる びる もれとりり がいく。
ぐう であとびん むはありんく るてえる。
けえる さみんだ げらげれんで。
くろおむ てやあら ろん るるむ かみ う りりうむ。
なみかんた りんり。
なみかんたい りんり もろうふ ける げんけ しらすてえる。
けるぱ うりりる うりりる びる るてえる。
きり ろうふ ぷりりん びる けんせりあ。
じゆろうで いろあ ぼらあむ でる あんぶりりよ。
ぷう せりを てる。
りりん てる。
ぼろびいろ てる。
ぐう しありる う ぐらびら とれも でる ぐりせりや ろとうる ける ありたぶり
あ。
ぷう かんせりて る りりかんだ う きんきたんげ。
ぐうら しありるだ けんた るてえる とれかんだ。
いい げるせいた。
でるけ ぷりむ かににん りんり。
おりぢぐらん う ぐうて たんたけえる。
びる さりを とうかんてりを。
いい びりやん げるせえた。
ばらあら ばらあ。
日本語訳
幸福といふものはたわいなくっていいものだ。
おれはいま土のなかの靄のような幸福に包まれてゐる。
地上の夏の大歓喜の。
夜ひる眠らない馬力のはてに暗闇のなかの世界がくる。
みんな孤独で。
みんなの孤独が通じあふたしかな存在をほのぼの意識し。
うつらうつらの日をすごすことは幸福である。
この設計は神に通ずるわれわれの。
侏羅紀の先祖がやってくれた。
考へることをしないこと。
素直なこと。
夢をみること。
地上の動物のなかで最も永い歴史をわれわれがもってゐるといふことは平凡ではあるが偉大
である。
とおれは思ふ。
悲劇とか痛憤とかそんな道程のことではない。
われわれはただたわいない幸福をこそうれしいとする。
ああ虹が。
おれの孤独に虹がみえる。
おれの単簡な脳の組織は。
言わば即ち天である。
美しい虹だ。
ばらあら ばらあ。
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