たりたの日記
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| 2008年11月10日(月) |
東京ポエトリー・フェスティバル |
11月1日、明治大学を会場に開かれた東京ポエトリー・フェスティバルに出かけた。 その日、夕方の朗読会で、ポルトガルの詩人、カジミーロ・ド・ブリトー氏の詩の和訳を二篇、朗読するという役目をいただいていた。
その詩は二篇とも愛をテーマにした詩だったが、預言書のように、何か暗示に満ちた、熱さと冷たさを合わせ持つその詩に心惹かれるものがあった。
預言の書、旧約聖書の預言書を読む時、まるで今のわたしに語りかけられているような出会いをする事がある―。 詩とは本来、そのようなものかも知れない。
デンマークの詩人、スサンナ・ヨーンは、詩を読むことで過酷な状況の中で、ある人が暗唱した詩を繰り返し唱える事で生き延びる事ができたというエピソードを語り、生きるための詩という提唱をしていたのが印象的だった。
生きるための詩・・・その言葉が身に沁みる。 あの時朗読したブリトー詩の詩を朗読してから10日あまりしか経っていないが、あの時には分からなかった詩の意味が見えてきたように思う。
生きるための詩、この詩もまた・・・
ここに記す事を許していただこう。
断片59『転落の書』
カジミーロ・ド・ブリトー 松岡秀明 訳
�機� 絶壁のように愛は高い そして愛はそれが生まれるとき燃える 高々としかし短く 海ほどの情熱を待ち望むとき 愛はさまざまな名を持つが、何も知らない 愛は愛させるものに姿を変えるのだ
�� 愛するのにあるいは死ぬのに もう遅いかまだ早いかは 神々の関心あることだろう わたしはもう通行料を払った 途半ばだ うつろう愛の蠅を注視する猫のように
�� 幾分なりとも私に取り柄があるとすれば 私が生まれたのちいくらかの月を (忍耐と不屈、そしていくらかの狂気) 持ちながらえていることだ 愛は短い だが炎は消えない 冬眠するのだ
�� まだ終わりではない 長い水平な呼吸 だが、私は近くにきている 夜の入り口の湿気の しずくで消えてしまう灯に 愛しい顔を近くで私は見る まだ終わりではないが 私はとても近くまできている
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