たりたの日記
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子育ての時期のありがたいものに、母親仲間の存在がある。
子どもが幼稚園に上がる前の3〜4年間というのは、母親にとって何ともシンドイ時期だ。 初めて体験する育児。分からない事ばかりで不安に駆られる一方、子どもからの要求は留まることがなく、朝から晩まで心と身体の休まる時がない。 見たい映画、聴きたいコンサート、出かけたい旅行といったことはすべてあきらめているにしても、喫茶店でちょっとお茶を飲む事も、外で友人と食事をする事も、いえ、家族での外食さえままならない。 今のこの気楽な立場を思うと、小さい子を抱えててんやわんやの母親、父親達に申し訳なく思う。
わたしのことだが、二人目の子どもが生まれた後、精神的におかしくなってしまいそうな時期があった。長男が3歳、次男が6ヶ月の頃だ。団地に住み、近くに親も兄弟もいないという環境で、ひとときも子ども達から離れることができなかった。育児ノイローゼの一歩手前にあったのかもしれない。
そんな時期に、子連れで学んでいる母親達のサークルに出合った。 乳幼児をかかえる母親達が自分たちで保育をしながら児童文学や「おはなし」の勉強をしているというのだ。その話を聞くや、次男を背中に負ぶい、長男を自転車の前のかごに乗せ、町の公民館へ走った。 よく考えてみれば、あの会との出合いは、目の前に現れた助け舟のようなもので、藁をも掴むような切迫したものがあった。
見学に来たことを告げると、連れていったその日から二人の子どもを当番の母親たちが保育室で預かってくれるという。まるで夢のような出来事だと心底ありがたかった。 しかし、まとわりつく二人の子ども達から離されたわたしは、ただもう所在なく、子どもを隠れ蓑のようにして、母親としてしか生きてこなかったことにはっとするものがあった。仕事を止め、社会とも隔離されたような数年間の中ですっかり衰えてしまったものがあると感じた。 わが子だけに振り回されているわたしに引き換え、そこの母親達は、講師を招いて学習し、当番で他人の子ども達の面倒も見る。そればかりか、お話をすっかり覚え、人前で堂々と語っている。あまりに自分とは違う母親達に圧倒された。
もともとのわたしの性格が頭をもたげ、一息に発芽するや、その中にどっぷりと身を浸した。児童文学を読み漁り、掃除機をかけながら、また洗いものをしながら、グリム童話や日本の昔話といったいお話をひたすら覚えるとい日常が始まった。グループごとの発表会では「鏡の国のアリス」を原書で読み合わせたり、イギリスの昔話を翻訳してみたりと背伸びもした。そして3年後には同じ団地に住む仲間3人で家庭文庫を開き、近所の子ども達を集めては本の貸し出しやお話会をするようになった。
前置きがすっかり長くなってしまった。 実はこの日、その当時同じ年の子どもを抱えていた母親仲間6人で数年振りに集まったのだ。そのうちのKさんとは、近年、毎週ジムで顔を合わせるようになっていたが、中には10年振りに会う人もいた。 20代、30代のうら若い母親達は今や50代に入り、子ども達もあらかた成人している。 状況はあの当時とはえらく違っている。みんな少しも変わっていないように見えるが、きっとそんなはずはないのだ。子どもの事、親の事、仕事や地域での事、それぞれに大変な時期をくぐりぬけて来たに違いない。
子ども達の成人式の写真や、旅先のスナップ写真などを広げて、大きくなった子どもの写真を見せ合う。みんなに召集をかけてくれたKさんは、なつかしい当時の写真をコピーしてみんなに渡してくれた。その中の集合写真は確かわたしがこの会に入りたての頃のものだ。わたしが次男を抱き、Kさんは我が家の長男を肩車してくれていた。長男と同じ年のKさんの子どもはと言えば、母親とはずいぶん離れたところで、一人でぽつんと座っている。
余裕もなく夢中で走っていたあの日々、何と多くの暖かい仲間たちに支えられていたことだろう。あの仲間達との出合いがもしなかったならわたしはあの時期をどうやって乗り越えたのだろう・・・
みんなと3時間近くおしゃべりして、家に帰ってからじっくり写真を見ていると、涙がこぼれた。
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