たりたの日記
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ここのところ、中上健次と平行して、三田誠広著「こころに効く小説の書き方」という本を読んでいる。わたしは昔からこの手の本が好きでついつい買ってしまうが、この本はわたしが買ったのではなく、ネット友のSが送ってくれた。この本を励ましとも応援とも感じて、とても嬉しかった。夏に書いたままになっている小説がその後どうなったか、Sは気にかかっているかもしれない。確かに今、小説を読むことに夢中になって書く事へ気持ちが向いていないなぁ。
そういえば、この前のゼミの時、 「今はエッセイしか書いてないけど、ほんとは小説書きたいんです」 と言うとS先生から 「君は小説はだめだね。幸せすぎるもの」 と言われてしまった。読んでいただいた拙著「育つ日々」のせいだ!
はぁ〜、そういえば、若い頃「幸せな人は詩を書くな」というタイトルの詩の入門書を買うかもらうかして、その本が長いこと本棚の真ん中あたりにあったことを思い出した。 わたしは当時「幸せ」という自覚はなく、どちらかといえば幸せではないところに身を置いていたので、わたしは詩を書いてもいいんだろうとぼんやり思っていた。といって、詩などひとつも書けはしなかったが…
わたしは幸せなのか、不幸ではない。 この「こころに効く小説の書き方」の帯には 「不運を幸運と感じることができる。これが作家です。」とある。 ずいぶん肯定的なフレーズだなあと思うし、これならわたしは当てはまる。 いつの頃からか、わたしは自分を不幸だ思う気持ちをすっかり落としてしまったようだ。どんな不運もそれが幸運になり、どんな幸運も一瞬に不運へと引っくり返る。
「え、誰が不運だって、あんたは幸せじゃないの!」 この日記をアップするや、それを読んだ同居人の声が隣の部屋から聞こえそうだ。
そういう彼はここのところ、毎日のように詩を書いている。 どう見ても不幸にも不運にも見えないのに、けっこう詩は哀しかったりする。
必要なのは不幸であることではなく、幸せの中に潜む不幸を見つめられることであり、不幸の中に横たわる幸せに気づくことなんだろう。
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