たりたの日記
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| 2004年07月11日(日) |
Kくんのこと、Mちゃんのこと、昔のフォークソングのこと |
さて、日曜日というのは1週間の内で一番早く家を出る日なので、朝はあわただしい。おまけに今日は風邪ひいてるmGに代ってわたしが教会学校のお話をすることになっており、当然病気のmGは車を出せないから、わたしは電車に乗るために家を8時15分に出た。 あぁ、昨日書いたヨナの話を朝おさらいするつもりだったのに、時間がない。しかたない電車に乗っている間におさらいしよう。
電車に乗り込むと背後から、「おはようございます」と野太い声。ふりむけば長男Hの中学校の時の友達、早稲田ボーイのKくんじゃないの。 「ひさしぶりね〜、元気?」 このK君、昔からそうなのだが、電車を待っている時なんかに会うと、必ず近寄ってくるという不思議な子なのである。 わたしはたいてい一人で電車に乗りたい人だから、知ったような顔があると反射的に相手を避けて一人で座るという根性の悪さなのだが、kくんはそれが礼儀とばかりに、おもしろくもないであろう友達の母の隣に座り、ちゃんと近況報告などをしてくれる。
いつもならKくんとおしゃべりするところだけれど、なにしろ、ヨナの話のおさらいがぁ・・・で、隣にいるKくんに、今日教会学校で聖書の話するから、この原稿覚えなくちゃならないのよとことわってから原稿を取り出す。 「あ、ぼく、一度、聖書読みましたよ」と原稿が気になる様子。読んでみる?と、一枚目を読んでからKくんに渡し、さらに2枚目、3枚目を渡すと、Kくんはふむふむと読んでいた。 ふうん、良く育ってるなあと感心する。 うちの息子たちだったら、友達の母とこういう会話をするなど考えられない。
ところでKくんの妹のMちゃんは今高校2年生だが、わたしの家に小学校2年生の時から中学校3年生まで9年間も通ってきた。あ、英語の勉強です。 で、そのMちゃんがこの夏から一年間アメリカに留学することは聞いていたが、K君の話によると4日後に出発するという。そこで、教会から戻って選挙に行った足で、Mちゃんの家へお餞別を届けに行った。
MちゃんとMちゃんのお母さんとしばらく立ち話をしたが、小さい頃からやってきた英語のお陰でMちゃんに英語圏で勉強したいという気持ちが生まれたと感謝されたが、17歳で一年間アメリカに行こうと決めたMちゃんと、それを後押ししてあげる親はえらいなあ、わたしはできないなあと感心した。
わたしの17歳はどんなだっただろう。 失恋した事はこの前の心太日記に書いたが、日常的には勉強はせずにギターの弾き語りに明け暮れていた。 岡林信康、西岡たかし、ジョーン・バエズ、ボブ・ディランなんかをたいてい一人で歌っていた。 て、いうか、あの頃は同級の子たちはバンドで「かぐや姫」とか「チューリップ」の歌なんかをカバーしていて、社会派のプロテストソングはぜんぜん支持されていなかったのだ。 何回か、高田渡や加川良を歌っていた先輩の男の子と中庭で昼休みのライブをやったことはあったけど。 ためしに「血まみれの小さな鳩」とか「これがぼくらの道なのか」を歌ってみたら、すっかり覚えていてまだ歌えた!よっぽど歌いこんだんだなぁ。
もうギターなんて、ずうっと手にすることもなかったけれど、この頃また弾きはじめた。英語のクラスで歌を教える時、ギターを弾きながら歌うと子ども達にウケる。年に2度ほどおじゃまする作業所でも、ギターの弾き語りが喜んでもらえる(へたくそなのに)。どういうわけだか、20代、30代の通園生が「友よ」や「遠い世界」といったわたしが17の時に歌っていた歌を知っていたりする。
そういえば、当時はTVなんかにはけっして出てこないマイナーだったそれらのフォークソングが、息子達が中学生の時学校から配布される副教材の歌集の中に入っていて驚いた。教室の中で歌われる歌になるなんて・・・ あの歌は職員室にいる先生たちにあてつけがましく歌うプロテストの歌だったのだが・・・ それともあの歌集を編集した人がわたしと同世代のプロテスト派だったりして ・・・在りうる。 もっとも西岡たかしは「五つの赤い風船」のライブアルバムの中で、「いつかこの歌(遠い世界)が日本の国歌のように歌われる歌になるかもしれない」なんてジョーダンで言ってるんですけれどね。 いい歌いっぱい作ってた西岡さん、今どうしてるんだろう。
なんだか、今日の日記ったら、KくんのことからMちゃんのことになり、昔の フォークソングのことにかなりの飛躍です。スミマセン。
あ、ヨナの話はOKでした。 mGは6年振りの熱で、まだ治りません。きっと明日は会社休んで病院行きです。わたしもまだ咳が抜けず、ゴホゴホやってます。 みなさんも、どうぞ夏風邪にご用心!
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