たりたの日記
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数日前の日記に、今年の抱負は本をまとめることと、書きましたが、そのことを少し具体的に書こうと思います。そうすることで、今のわたしの気持ちをはっきりさせて、どこへ向かって、誰に手渡すための本なのかということを確認していきたいと思うからです。
昨年の10月末に、ネットライターのサイト「ゴザンス」のことを知り、投稿を始めました。まずは書くトレーニングのつもりで、すべての課題に挑戦しようと思ったのです。それ事体、充分おもしろく、日記とはまた違った視点で書けるようになりました。その課題とは別にすでに「父の12ヶ月」というタイトルで書いた父の思い出に関するエッセイを月にひとつづつ、リライトして投稿してきました。そして、12ヶ月分のリライトが完成したら、それを冊子にでもまとめて、父のことを知っている人に差し上げようと思っていたのです。
今年の暮れ、アルツハイマーの症状が進んだ父を病院に訪ねた時、父が生きている間にその冊子をまとめたいと強く思いました。もちろん、父はもう字など読めませんし、読んで聞かせたところで、何も分かりはしないのです。それでも、冊子をできれば、本の形で父のところへ持っていきたいと思ったのでした。
そんなことをぼんやり考えていた年明けの2日、母の姉である伯母夫婦を訪ね、伯父や伯母と話をしている時に、父が伯父に、退職したら、これまで生きてきたことを自叙伝にまとめたいと話していたということを聞きました。いったい父が書き残したいと思ったことがどういうことなのかは、もう知るすべもありません。父は記憶障害が出はじめて、ようやく昔の話をぽつりぽつり話すようになったくらいで、元気な時には、昔話など少しもしなかったのです。
父が書こうとしたことは、きっと外地で育った子ども時代や、予科練にいた時のこと、また引き揚げ時や終戦直後の混乱、そして新しい仕事を見つけるに至ったあたりのことではないかと思います。けれど、残念ながらわたしはその頃の父のことは何も知りません。
わたしが記録に残せるとしたら、子どもとしてかかわった父親の側面だけです。父は自分の人生の中で、父としての日常など特筆すべきものなどないと思うかもしれません。けれど、その中で人間として育っていった者にとっては、それこそが特筆すべきことなわけです。
そういういきさつもあって、今年のうちに父親のことについて書いたものを本にまとめたいと、年明け早々、ゴザンスの「100人の本の企画」に応募しました。編集部の返事は、父のエッセイの投稿が終わったところで本にすることを持ちかけてみるつもりだったということで、わたしの応募を快く受け入れてくださり、本づくりがスタートしたというわけです。
さて、当面の課題は本の構成です。父のエッセイだけでは30ページから40ページにしかなりませんから、本の体裁を考えると90ページ分は別のものを加える必要があります。今まで書いたものを広げながら、何を中心にしてまとめるか、ああでもない、こうでもないと試行錯誤しているところです。
原稿を揃える今月末までは、他の活動を一時停止にして、このことに集中する必要がありそうです。ジムに行かずに体重が増えるのがちょっと怖いですけれどね。とにかく明日、明後日は構成を考えます。
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