たりたの日記
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2004年01月06日(火) 高橋たか子 第45回毎日芸術賞受賞

高橋たか子氏が第45回毎日芸術賞を受賞されたことを、今頃になって、1月1日の新聞で知りました。決して自慢にはなりませんが、また高橋氏の真似をしているという訳でもないのですが、わたしはほとんど新聞を読まないのです。
けれども、昨日、新聞の整理をしながら、元旦の新聞くらいには目を通しておこうと思って開いたところに、大きくこの記事が出ていて、高橋氏の顔写真もあったので、わたしは急ぎ、その記事を切り抜いたのでした。

そういえば、一昨年前、高橋氏の執筆する「いつもそばに本が」という記事が毎日新聞の日曜版に3回に渡って連載されたのですが、この時も、めったに開かない新聞をふっと手に取った時に、その記事を見つけ、あわてて切り抜き、その後2回はこの記事を読みたくて、日曜版が待たれました。

とにかく高橋氏の著作や記事の出会いはいつも、こういう「導き」のようなものに促されています。出版されている氏の著作56冊のうち、数えてみると45冊の本を読んでいました。そしてその多くと、そんな出会い方をしているのです。ちょうど、その人を訪ねることもしなかったのに、ばったりと出会ったというように。

今回の受賞の対象になったのは氏の最新の長編小説「きれいな人」なのですが、この本のことをまだ知らないうちに、ネット仲間のSが、高橋の新しい小説が群像の3月号に出ていると教えてくれました。そこで、次に図書館へ行った時に保管してあるバックナンバーを探して読んだのでした。

はじめこの小説を読んだ時にはこれまでの彼女の小説のように、ぐいぐいその世界の中に引きこまれていくような吸引力を感じられず、途中で読むのを止めました。その時思ったのは、この小説は次にどうなるのか、話の筋でひっぱっていくような小説ではなく、これを読むためには、読む側の心の状態が問われるということでした。先を急がずに、ずっとひとつところにとどまりながら試作しつつ読むには、その時のわたしは、あまりに様々なことを抱えていたので、今は読めない、読める時期を待とうと思ったのです。

それからしばらくたって、9月頃だったでしょうか、これも数ヶ月振りで行った図書館でふと目に止まったのが単行本になったばかりの「きれいな人」でした。いったん買ってしまうと、いつでも読めると思って後回しになってしまうからと、あえて図書館で借り、2ヶ月あまり、何度も図書館で借り換えをしながら読んだのでした。

以前の高橋氏の作品は1日で、少なくとも数日で読み終えていたので、今回はほんとに長くかかってしまいました。今日は読めそうな気分だという時にだけ開き、しかも1日にわずかなページを味わい、味わい、読むといった具合に読んでいったからです。ですから読み終えた後はほんとに長い旅を終えたような気持ちでした。

それでもまだこの本を、ほんとうには読んでいないということは分かっています。ここはよく分からないから、後で戻って読もうとさっと流し読みして、次にすすんだ部分もあるのです。これから本を買って、またはじめから少しづつ読んでいくつもりです。もし、書評や感想のようなものを書くことができるとしたら、それからですね。さて、わたしはこの作品を読み取ることができるでしょうか。きっと何年もかけて読むことになるのでしょう。きっと、わたしが彼女の年齢くらいにならなければ、見えてこないこともたくさんあるのでしょう。

この本の冒頭で、「私」はマダム・ヴィトラックの100歳の誕生日祝いに、彼女のフランスの住まいへかけつけるのですが、そのパーティーの席でその老女の書き綴った自家製の詩集が配られます。その詩を、マダム・ヴィトラックがまだ子どもだった頃のものから順に読みつつ、それと平行して、マダム・ヴィトラックの幼馴染、98歳のイヴォンヌから、何日にもわたって彼女の生きてきた道筋を、彼女自身の物語を聞くのです。そしてその話の中では二つの大戦に翻弄されて、記憶を失ったミッシェルという青年の魂の旅が、また語られます。3人の生きてきた長い年月が、深い想いとともにそこに横たわっているのです。

それにしても、高橋たか子氏が優れた芸術作品に与えられるこの賞を受賞したことがとてもうれしいです。キリスト教徒が人口の1パーセントにも満たないこの国で、彼女はカトリック信者としての立場で、神への応答という形での作品を書き続けています。決して万人受けする作品ではないし、どの作品も強烈なまでに、彼女の個性に貫かれていて、読者におもねるようなものではありません。いわゆるエンターテイメントの対極にあるような作品ばかりです。ですから、高橋ファンとしては、そういう作品が公の場所で芸術作品として評価され、より多くの人たちから知られるようになることがほんとにうれしいのです。

今年71歳になる高橋氏、その顔つきが年とともに、ますます「きれい」になっていくように、彼女の作品も、きっともっと、もっと「きれい」になっていくことをわたしは疑いません。彼女の作品を読み続けるということは、そのまま一人の作家の魂の成長を見守ってゆくことだと思っています。ほんとうのものと共にある魂を。


たりたくみ |MAILHomePage

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