たりたの日記
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ずいぶん久し振りに友人のMと会う。昼に駅で待ち合わせし、お昼をいっしょにし、買い物をし、お茶を飲み夕方までの時間をいっしょに過ごす。勘定してみるともう9年も会ってなかったことになる。それなのに会ったすぐから昨日までいっしょにいたような感覚が起こるのはなんとも不思議だ。
Mと初めて会ったのはわたしが結婚して九州から埼玉のK市の公団団地に住むようになったばかりの時だった。今までの友人、知人と離れて1から人間関係を築いていかなければならない状況、しかも立場は孤独な主婦。子どももいないわけだから人と知り合うきっかけもつかめない。小学校の教師をやめて見知らぬ土地で主婦をしていることがなんとも心もとなく、小学生にすれ違う度に胸が塞ぎ涙がこぼれそうになるという日々だった。Mと出あったのはちょうどそんな時。同じ団地の同じ棟、同じ階段の1階と5階の住人という間柄だったで、彼女もわたしも同じ頃に結婚し、同じようにK市に住み始めたところだった。仕事を辞め、主婦というものを始めたこころもとなさを相憐れみつつ、それからは時々お互いの家で昼やお茶をいっしょにするようになり、新婚時代、妊娠中、子育て時代を共に経てきた。親も親戚も周囲にいない私にとってMの存在は心強く、妊娠中の不安や子育ての悩みをお互い相談しあい、いっしょに子どもたちを遊ばせた。時にはお互いの連れ合いも交え、夕食を共にすることもあり、今の近所つきあいでは考えられないほど密度の濃い付き合いだった。子育てはまるで戦争のようだったから私たちの間がらは戦友に近いものがあるのかもしれない。
あの頃から20年の歳月が流れている。20代だった新妻は中年になり、あの時の赤ん坊たちは20歳の青年。子どもに夢中になっていた時代は終わった。年は取ったものの、子どものことに時間も心も奪われていた頃に比べ、私たちは自由でのびのびとした自分を取り戻しているのかもしれない。様々なことを留めなく話しながら、私もそうだがMも少女のままだなあとなんだか愉快だった。
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