たりたの日記
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2003年01月05日(日) 顕現主日

 今日は顕現主日。東方から旅してきた3人の博士(占星術の学者)が幼子イエスを訪ねあて黄金、乳香、没薬(もつやく)の贈り物を奉げた日。クリスマスはこの日を持って終わる。アメリカ滞在中に行っていたルーテル教会ではこのエピファニーサンデーにはプロの演奏家を招いたり、アンサンブルを組んだりして特別な音楽礼拝が持たれていた。音楽の捧げ物といった意味からであろう。私もクワイヤで歌ったり、パイプオルガンとフルートと共にバイオリンを弾いたりした。コンサートではなく奉げ物として演奏できることが感謝だった。

 今日は礼拝の中で聖書の朗読をしたのだが、夕べ寝る前に朗読の練習をするべく聖書日課を開いて驚いた。第一日課の旧約聖書の箇所が、元旦の朝に与えられた「起きよ、光を放て」で始まるイザヤ書60章だったからだ。不思議な一致だった。今日は特別に心をこめて朗読した。朗読の捧げ物。

 説教の中で聞き取ったこと。3人の博士は異邦人であった。その異邦人たちが、生まれたばかりのメシヤ(救い主)を拝みにはるばる旅してきた。ただ漠然と星の後を追って旅したのではない。行く先々でメシヤはどこで生まれたのかと聞き、探し求めて訪ね当てたのだった。そうして星は博士たちにその場所を指し示すように幼子の真上に止まったのである。私たちは神に反し、自らの内には何も正しいものを持っていない「異邦人」。しかし、「異邦人」としておのおのの仕事をしっかりとしていく時、その上に福音が与えられ、導きが与えられる。神の働きは不思議だが確かで確実なもの。キリストの上に止まった星を見定めてそこのところに立つということ。

 探し求めていこうと思う。その幼子の上に止まった星を見上げていこうと思う。


たりたくみ |MAILHomePage

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