たりたの日記
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毎年12月1日に出し、1月5日の顕現節まで飾っておくクリスマスツリーをこの2年間出さないままだった。どうしたって気ぜわしい12月なのだが、ここ2年は暮れに帰省することもあってかさらに心にゆとりがなかったのかもしれない。
今朝、夫が出勤する前にベッドの下にしまってあるクリスマスツリーの箱を取り出してもらった。今年は腕の筋肉も付いているからツリーの入った大きなダンボールの箱を1人で下まで降ろすことは1人でできそうだ。まずツリーを置くスペースを確保し動かした家具の下の掃除もしたい。そうなのだ。ツリーを出すとなるとそれに伴う片付けや掃除がまず先立つからゆっくりと時間がある時でなければ出す気になれないのだ。
なんとか午前中で掃除が終わり、ワックスもかけた床にツリーと組み立てる。 飾りは夕方小学生たちが英語のクラスにやってくるのでレッスンの中で飾りつけをさせることにする。まず小学校2年生の5人のクラスだが、子ども達は歓声をあげる。箱一杯の飾りを見てさらにエキサイトする。私も子どもの時そうだった。父がどこからか切ってくるもみの木にわくわくしながら折り紙で作った飾りや白い綿をくっつけたものだった。
好きなオーナメントを手にした子どもたちがそれぞれ「What's this?」と聞き、私がその名前を英語で言う。日頃あまり声を出さないWくんが一番元気よくその英語を復唱するのに驚く。他の子たちはお勉強モードだとしっかりやるのだが、Wくんは遊びモードだと生き生きとしてくるということが発見できてよかった。
それにしてもこの飾り、ひとつひとつにいろんな思い出がある。一番古いものは私が結婚前、小学校の教員をしていた頃、卒業していく6年生の子がプレゼントにくれたもので、楽器をフェルトで上手に作ったものだ。確か音楽クラブにいた子で卒業式の日、お母さんが「この子が先生のような音楽の先生になりたいというんです。」とごあいさつくださった。ピアノが下手で泣く泣く鼓笛隊の指導をした新米教師だったので、そのお母さんの前でただ下を向いて恐縮していた。
紙粘土をクッキーの型で抜いたハートやツリーの飾りは団地でたんぽぽ文庫をやっていた時、バザーのためにたくさん作ったもの。子ども達がアメリカの幼稚園や学校で作って持って帰ってきた飾りや友人にクリスマスプレゼントとしてもらったものもある。飾りの中にはいくつか写真にリボンを付けたものも混ざっている。遠い日の我が家のクリスマスの場面や、知り合いからいただいた家族写真をツリーに飾る。クリスマスツリーはいわば思い出のツリーでもある。
そういえば、アメリカの公立小学校ではこの時期エントランスに置かれたツリーをクリスマスツリーとは呼ばずにフレンドシップツリーと呼んでいた。様々な宗教のバックグラウンドを持つ子どもたちが集う学校でひとつの宗教だけを取り上げるわけにはいかないということだった。当然、宗教色の強いクリスマスキャロルは学校の中では歌われない。私は公立学校の先生方のこの公平な感覚が好きだと思った。しかしここは日本。この時期にはデパートでもスーパーでも賛美歌が流れるほど、クリスマスが生活の中に入り込んでいるこの国の寛容さを利用させていただき、クリスマスの時期にはクリスチャンでない方々とその喜びを共有できることをうれしく思っている。
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