たりたの日記
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いつもなら仕事に出かける水曜日の午後だが、今日は英語学校が休みでたまたまオフ日になった。それにしても、こんなにゆったりと 家で過ごす昼下がりはなんて久し振り。 こんな自由な時間があれば、大きな黒いスポーツバッグにタオルや着替を詰め込んでジムへと走るのがこのところのわたし。でも今日は外に出るのをやめた。ひとつのことを選ぶことで別のものが失われているのは確かなこと。どんなに欲張ってみてもひとつの身体、限られた時間なのだから。 今まで選んでこなかった時間の過ごし方を今日は選んでみよう。何もしないという選択。ただただ秋の陽射しと静けさとにすっかり身をゆだねる無為の時を。
テーブルの上には窓辺のハナミズキと陽の光と風とが作り出す影絵がゆらゆらと動いている。木の枝に目をやるとあちらこちらに真っ赤な実がいくつもついていた。季節は実りの秋を迎えているのだ。 秋の燃え上がるような絢爛さがわたしはことのほか好きだ。NJにいたころ、紅葉した木々の中を走るためだけに子ども達を学校へ送った足でNYのファームまでの道を1人でドライブした。そして息を呑むような華麗なランドスケープに心を奪われた。春の木々にも夏の木々にも感じることのなかった迫ってくるような感動。
昨日電車の中で旅行会社の広告のキャッチが目に止まった。 「若い時がいちばん美しいのではないということを絢爛な秋が教えてくれる」 と、こういうフレーズだったと思う。美しい紅葉の写真を背景に印刷されたこの言葉がなんだか直接語りかけてくるような近さで入ってきた。 このコピーを書いた人はきっと若い人ではないのだろう。40代か、50代、その時期を美しく生きたいと思っている人なのだろう。いえ、実際に若い時にはない豊かな時間を過ごしている人なのかもしれない。そんなことに思いを馳せながらそのキャッチを何度となく繰り返し、心に刻もうとした。 その時のわたし、美しい時はこれからなのだわと、挑戦的な眼差しをしていたかもしれない。
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