たりたの日記
DiaryINDEX|past|will
| 2002年10月13日(日) |
後にいる者が先になるー「ぶどう園の労働者」のたとえ |
今日の礼拝の福音書の箇所は「ぶどう園の労働者」のたとえ(マタイ20章1〜16)だ。このたとえ話をしめくくる「後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」という言葉をわたしは好きだ。これまで何度となく繰り返し思い浮かべてきた。でもなぜこの言葉が好きなのだろう。
この言葉を初めて聞いたのは子どもの時、教会学校でだった。 朝から晩まで一日中働いた人と夕方からわずかな時間しか働かなかった人に同じ賃金の報酬が支払われたことに子ども心にも不公平な気がした。そしてたくさん働いた方の人間が不公平だと主人に言うと主人はその人に「わたしはあなたに不当なことはしていない、約束した額を支払ったといい、さらに「わたしの気前のよさをねたむのか」と厳しいことを言う。これでは朝から働いた人は踏んだり蹴ったりだとぶどう園の主人をうらめしく思った。さらにその時子ども達にお話をしていた牧師の言葉はさらに追い討ちをかけるものだった。
確かあの時、牧師はこういうことを言った。 「この教会学校にはYちゃんのように小さい頃から来ている子もいれば、ついこの前から来るようになった子もいるし、今日来たMちゃんもいますね。でも神さまはみんなに同じだけのごほうびを下さる。同じように愛してくださる。それだけではなくて、わたしはいちばん先輩で何でも知ってると思っている人が、後はから来た人に追い越されることになるんですよ。神様の国では古い人も新しい人もいつも同じスタートラインに立っているんですよ。」
なにかぎくりとした。学級委員タイプのいい子であった私は教師から特別に信頼されたり褒められたりということを得意に思うところがあった。わたしは特別という意識があったように思う。ところが教会というところではそれが通用しない。神様というお方はこの世の価値観と違うものを持っていらっしゃる。そしてその前ではわたしのような高ピー(その当時そういう言い回しはなかったが)こそ鼻持ちならない子なのに違いないと悟ったのだった。 世の中と違った価値観を持つその場所に、ある意味日常のわたしが否定される場所にわたしは不思議な居心地のよさを感じていた。それというのも日常の中でわたしはどこか無理をして良い子を演じ続けていたからなのだろう。
今、毎週水曜日の夕方、洗礼を受けようとされている方々のための教理の勉強会に出席して、聖書や教理の基本的なところを学んでいる。洗礼は25年前に受けたものの、今求めて受洗の志しを持っている方々の熱さからするとすでに私は後の者になっている。これからという方々に触発されることの方が多い。ネットで知り合ったMさんが隣の市にある姉妹教会でこのクリスマスに受洗される。彼女と出会ったサイトの掲示板にはいつも彼女の洗礼の準備をする喜びが書き込まれていて、その度にわたしは何か身が引き締まる思いにかられる。 思えば彼女との出会いもまったく不思議な出会いだった。いったい神様の人と人を結びつける業は予想だにしていないところから始まっている。まだイエスに出会っていない人たちの中にほおりこまれる気がすることがある。そういう時、その人たちの中にある輝きを見て「後にいる者が先になる」という言葉を思い浮かべる。そういう意味での「先の者」として神は私を用いるのだろうと思う。
「後にいる者が先になり、先にいる者が後になる」この言葉は今もなお、ぎくりとさせられ、また慰めを与えてくれる言葉だ。
***************************
マタイ20章1〜16 ◆「ぶどう園の労働者」のたとえ 20:1 「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。 20:2 主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。 20:3 また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、 20:4 『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。 20:5 それで、その人たちは出かけて行った。主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。 20:6 五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、 20:7 彼らは、『だれも雇ってくれないのです』と言った。主人は彼らに、『あなたたちもぶどう園に行きなさい』と言った。 20:8 夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。 20:9 そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。 20:10 最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし、彼らも一デナリオンずつであった。 20:11 それで、受け取ると、主人に不平を言った。 20:12 『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』 20:13 主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。 20:14 自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。 20:15 自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』 20:16 このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」
|