たりたの日記
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ウォーキングマシーンの上をかなり早足で歩きながら、その中年の女性はなにか冊子のようなものを片手に持ち、時折そちらに目をやりながらも顔は正面の鏡を見据え、何やらしきりに独り言を言っている。横顔しか見えないが、その表情も何か尋常ではない。だいたいここのジムのウォーキングマシーンではそれぞれがひたすら走ったり、歩いたりしている。中にはイヤホーンを耳につっこんでいる人もいるから、音楽だかラジオだか、はたまた英会話のカセットテープでも聞いているのだろう。ごくたまに文庫本を片手に歩いている人も見かけはする。しかし、鏡に向かって独り言を言いながら歩く人間を見たのは初めてだ。そもそも、この場所はそれぞれがいわば無機質に個性などとは無縁なところで呼吸している。それを破るかのようにそこの部分だけ何か異質な空気が漂っている。いったい彼女は何を語っているのだろうか。私は少なからずその女性に興味を覚えた。
と、小説の書き出し風に書いてみる。 実はこの鏡に向かって独り言をいいながら歩いている女はわたし。何のことはない。単にミュージカルの台詞を暗記すべく台本片手にウォーキングマシーンの上を歩いていただけのこと。自分の家の居間でやるよりはるかに集中でき、効率が良かった。それに前方は鏡だから、台詞を言う時の表情チェックできる。こんな良い練習場所があるだろうか。それに運動しながらやれるのだから一石二鳥というもの。ただ、周囲の人間に異様な印象を与えるのはできれば避けたいもの。そのためには、気が触れて独り言を言っているわけではなく、芝居の稽古をしているらしいと認識してもらわなければならない。しかし、そこがまた演技というものではかろうか。いかにも芝居の練習をしているらしく見せるという。
さあて、本日のわたしはちゃんと「芝居の稽古をしているおばさんの図」であっただろうか。それとも冒頭の書き出しのように不可解な「なぞの女の図」であっただろうか。なぞの女ならそれでも良いが、そういう異様な女性に興味を持つような男性は私の周囲にはいそうもない。
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