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2012年09月03日(月) 質的心理学会第9回大会にいってきたよ日記(1)

質的心理学会にいってきました。私は2つの企画に参加しました。ひとつは「協働の場をつくる人・モノ・言葉」でこれは企画者&司会者として、もうひとつは「つくること」としてのつながりで、これは指定討論者として。どちらも面白かったし、期せずして同じようなテーマをアプローチをかえて論じたようなセッションになりました。重なるディスカッションもあったと思います。

今回は前者のシンポについてまとめてみようと思います。

伊藤先生はネットワークが「機能する・しない」ということについて、ご自身がかかわっていらっしゃる3つの場(大洗応援隊、ベトナム友好協会、小学校ボランティア)を比較しながら論じられた。杉浦先生はゲーミングの話。ゲームは現実の要素を核として、それをうまく抽象化し、遊びながら体験できるようにしかけられたものである。現実の制約から自由になりつつ、また、自分たちでルールを変えていけるというところに価値をおいて、いくつかのゲーム事例をもとに話された。矢原先生は、ずっと取り組んでおられるレフレクティングプロセスについてルーマン社会学、あるいは「ディスコミュニケーションの心理学」の高木先生の論(ベイトソンに基づく)をベースにした検討をお話された。

こうした話題提供につづいて川野先生のディスカッションを契機に、そもそも「機能するとは何か?」という話になった。機能を評価するためには目標がいる。しかし、協働のなかでは目標自体が時間経過のなかで変わっていくし、そもそもメンバーそれぞれが多様なバックグラウンドをもって集まり、単一の価値をめざしていくというよりも、多様な価値を共存させていくということも必要だろう。となると、どうやって評価したらよいのか?。私はこの問いは自分が研究をして記述をすすめる際に直面する問いでもあり、興味をひかれた。

 私は「協働」とは、誰が、どのような立場から、どのような現象をきりとって記述するかによって、かなり様相の変わるものだと思う。「協働」もひとつのナラティブではないだろうか。どんな要素をとりこんで、どのような視点からまとめるかによって結果も変わってくる。例えば、伊藤先生のプレゼン中、3つの活動の差異が論じられたが、たしかに「客観的に」そういう側面もあるのだろうが、活動における先生のポジショニングやパワー、オーサーシップとも関わっているのではないかという気がした。例えば、抑圧的で上意下達的にみえる組織も、実はトップの方ではかなり水平的にやっているつもりであるかもしれないし、協働をどのようなスケールでとらえるかによってwebでは没交渉にみえても実践場面では多様な関わりがあり、それが管理者にはみえないといったこともあるだろう。誰のものでもないような視点では記述はできない。視点は定めなければ記述できないけれど、そのような意味で自分がどのような位置をしめているのか、そこでの権力関係、視点を可能にしている道具立てといったものに自覚的でないといけないのだろうと思う。

 こうした問いと関連して、フロアから実践のなかでは短期的な目標と長期的な目標があるんじゃないかといった話がなされたのが思い出される。これも協働を記述するものは全体的な視点から活動をとらえているから、長期的な自由さがうまれるという話になるが、その活動のただ中でいる人々からすれば、それ自体が目的になってしまえば、どう動いてよいかわからないことになりかねない。自由が保証されるということは、自由になれる反面、どうしてよいかわからないということと裏表である。活動のなかでそれぞれの人々にみえている景色はなにかということにも注意をはらう必要があるように思う。


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